影縫いの解放、闇に響く自白
「くははは! どうした、グレイロードの飼い犬よ。その自慢の牙も、聖なる光の前にはただの玩具に過ぎんようだな」
湿った地下の空気、黴とドブ川の悪臭。そして、聖光教団特有の、鼻を刺すような聖水の冷たい香りが立ち込める『禁忌の礼拝堂』。その中央で、ウルリヒ・ルミナスは狂気に満ちた嘲笑を響かせていた。
彼の足元では、漆黒のメイド服を纏ったカレンが、光り輝く『聖光の鎖』に全身を縛り付けられ、石床に跪いていた。鎖が触れるたびに、彼女の白い肌からパチパチと不気味な白煙が立ち上り、影の魔力を強制的に中和していく。激痛に耐える彼女の視線の先には、冷たい鉄格子の檻。そこには、彼女の唯一の肉親である弟と、怯える十名の子供たちが押し込められていた。
そして檻のすぐ隣には、不規則に脈動する黒い結晶体――子供たちの生命力と同期し、無理な救出を試みれば即座に地下街ごとすべてを吹き飛ばす『魔導爆弾』が、死のカウントダウンを刻むように青白い光を明滅させていた。
「さあ、カレン。お前がその弟の命を救いたいなら、やるべきことは分かっているはずだ。アレン・グレイロードの寝室の鍵、そしてあの男の『魔導車椅子』の起動パスワードを渡せ。あの病弱な操り人形を排除し、この領地を神聖なる光で満たすための鍵をな」
ウルリヒは歪んだ笑みを浮かべ、懐から魔導爆弾の起爆符をちらつかせた。子供たちの泣き声が、冷たい石壁に反響する。カレンの瞳から、冷酷な暗殺者としての仮面が完全に剥がれ落ち、絶望の涙が床に滴り落ちた。
(アレン様……申し訳、ありません。私には、この子たちを、弟を裏切ることは……)
彼女が絶望に身を委ね、その唇を開こうとした、まさにその瞬間だった。
『――諦めるな、カレン。お前の影は、まだ死んでいない』
彼女の脳裏に直接、あの静かで、氷のように冷徹な、しかし絶対的な安心感を伴う声が響き渡った。アレン・グレイロードの声だった。
「アレン、様……?」
カレンは思わず目を見開いた。彼女の網膜の端で、アレンの『感覚共有(リンク・センス)』が強制的に再起動し、彼女の視界に精緻な青白い幾何学グリッドが投影され始めた。
その頃、グレイロード城の薄暗い地下回廊。アレンは破損した車椅子の上で、激しく血を吐きながらも、左手薬指に嵌められた『三重誓約の指輪』を強く握り締めていた。指輪はカレンの精神的苦痛と同期し、狂ったように青紫色の光を放っている。アレンの脳神経には、まるで灼熱の針を突き刺されたかのような激痛が走り、右目の暗闇がさらに深く彼を侵食していた。
「アレン様! これ以上の同調は、お体の魔力毒を刺激します! 心臓が止まってしまいます!」
傍らに控えるセバスチャンが、悲痛な声を上げて白いハンカチでアレンの口元の血を拭った。だが、アレンは血に染まった唇を微かに歪め、不敵な笑みを浮かべた。
「黙っていろ、セバスチャン。カレンは私を信じると言った。主がその信頼を裏切って、どうしてグレイロードの当主を名乗れる」
アレンは残された左目で、脳内に送られてくる地下礼拝堂の光景を凝視した。彼の卓越した知性と『魔力制御法「魔脈演算」』は、カレンの五感を媒介にして、ウルリヒが展開している『聖光の鎖』の魔力構造を超高速で数式化し始めていた。
ウルリヒの鎖は、一見すると完璧な光の防壁に見える。だが、アレンの演算は、その鎖が『子供たちの檻から発せられる微弱な生命魔力を逆流させて維持している』という不完全な接続ポートを発見した。つまり、その接続が一瞬でも途切れる周波数を見極めれば、鎖はただの光の霧へと霧散する。
『カレン、私の指示を聴け。今からお前の呼吸を、私の心臓の鼓動と完全に同期させる。恐れるな、ウルリヒの鎖は完璧ではない』
アレンの声が、カレンの脳内に直接響く。カレンは深く息を吸い込み、アレンの精神波に自らの魔力を委ねた。彼女の体内の影の魔力が、アレンの超精密な調律によって、不規則な聖光の波長と『逆位相』になるよう、ミリ秒単位で再構築されていく。
「おい、何をもたついている! 早く吐け、さもなければこの場で弟の喉元を――」
ウルリヒが痺れを切らし、檻に向けて一歩踏み出した。その慢心の一瞬を、アレンの左目は逃さなかった。
『――今だ、カレン。「影縫いの歩法」を起動。左足の影を、背後の円柱の影へと三歩分、滑らせろ』
アレンの命令と同時に、カレンの肉体が虚空へと溶けるように消え去った。ウルリヒが目を見開いた瞬間、カレンを縛り付けていた聖光の鎖が、アレンの『魔脈遮断(ルーン・カット)』の遠隔干渉によって結節点を焼き切られ、ガラスのように砕け散った。
「なっ……消えた!? バカな、聖光の結界の中で影移動など――」
「そこまでだ、教団の猟犬ども!」
凄まじい爆音とともに、礼拝堂の東側の石壁が物理的に粉砕された。瓦礫が飛び散る暗闇の中から姿を現したのは、赤髪の若きリーダー、サイラス・ヴァーミリオンだった。彼の背後には、アレンの指示に従って極秘裏に地下水道を潜入してきた『グレイロード境界義勇軍』の精鋭たちが、誓いの大剣を構えて突入してきた。
「義勇軍だと!? なぜここが分かった……!」
ウルリヒが驚愕に顔を歪め、祭壇の上の魔導爆弾の起爆符に手を伸ばそうとした。だが、その影から音もなく実体化したカレンの漆黒のダガーが、ウルリヒの手首を正確に貫いた。
「ぎゃあああっ!」
ウルリヒが悲鳴を上げてのたうち回る。カレンは彼の懐から起爆符を奪い取り、瞬時に弟と子供たちの檻の前へと立ち塞がった。サイラスの義勇軍が聖光騎士たちを瞬く間に制圧し、礼拝堂内は完全にグレイロード側の支配下へと置かれた。
「カレン、無事か!」
サイラスが檻の鉄格子を大剣で叩き切り、子供たちとカレンの弟を救出した。カレンは弟を強く抱きしめ、その肩を震わせた。そして、彼女は天井を見上げ、目に見えない主に向けて、魂からの感謝を捧げた。
「アレン様……ありがとうございました。私の影は、貴方のために」
一方、拘束されたウルリヒは、手首を押さえながらも、狂気に満ちた笑い声を上げ始めた。
「ははは! 勝ったと思うなよ、異端の協力者どもめ。ジュディス様の本隊は、すでに城の正面門へと進軍を開始している。お前たちの小賢しい罠など、神聖なる光の前にすべて消し飛ぶわ!」
ウルリヒの不気味な自白が、静まり返った礼拝堂に不穏に響き渡る。アレンは車椅子の上で、血のついたハンカチを握りしめ、冷酷な笑みを浮かべた。教団の本格的な武力侵攻が、ついに始まったのだ。
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