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鋼鉄の槌、砕け散る少女の剣

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「野盗だよ! 赤目一味が、松明を持って集落へ向かってる! このままじゃ、みんな殺されちゃう!」


 お咲の悲痛な叫び声が、木小屋の湿った空気を引き裂いた。その言葉が終わるよりも早く、神楽坂沙耶は藁床から跳ね起きていた。昨夜、老墓守のくれた不思議なお粥のおかげで、逆流していた内力は奇跡的に落ち着き、四肢には確かな力が戻っている。彼女は迷うことなく、土間の隅に置かれていた半ばから折れた大剣『落葉』を掴み取った。


 竈の前に佇んでいた隻腕の老人――枯(こ)は、無言のまま彼女の前に立ちはだかり、その枯れ木のような左手を静かに伸ばした。その目は「行くな」と告げていた。右肩の傷口からは、昨夜の無理な内功の反動で、今もじわじわと黒い血が衣服に滲んでいる。これ以上の戦いは、老人の肉体を内側から破壊しかねない。しかし、沙耶はその制止を強引に振り払った。


「退いて、おじいちゃん! お父さんの剣がある限り、私は目の前で人が見殺しにされるのを黙って見てはいられない!」


 沙耶は『風鳴りの鍔』を「キーン」と高く鳴らしながら、木小屋を飛び出していった。枯は引き留める言葉を持たず、ただ去りゆく彼女の背中を見つめていた。だが、その瞳には諦念ではなく、静かな、そして深い覚悟の光が宿っていた。老人は壁に立てかけられていた『古い竹箒』を左手で握り締めると、音もなく気配を消し、彼女の影を追って闇霧の中へと滑り出した。


 落日谷の避難集落は、地獄絵図と化していた。


 早朝の冷たい霧が立ち込める中、赤い松明の炎が不気味に揺れ、逃げ惑う難民たちの悲鳴が響き渡る。泥と流木で建てられた粗末なテントは次々と引き裂かれ、野盗たちが容赦なく略奪を働いていた。彼らは農民たちの命線である鉄鍋や古びた農具まで強引に奪い取っていく。


「頼む、これだけは勘弁してくれ……! 冬を越せなくなる!」


 避難民のリーダーである権造が、泥まみれになりながら野盗の足元に縋り付いていた。しかし、粗暴な野盗はせせら笑い、その胸元を容赦なく踏みつける。権造が吐血し、地面に這いつくばったその瞬間、霧を切り裂いて一本の影が舞い降りた。


「そこまでよ!」


 沙耶が折れた『落葉』を構え、野盗の前に立ち塞がった。彼女の瞳には、かつて父・元信が宿していたものと同じ、決して折れない正義の光が宿っている。踏み込みと同時に、彼女は未熟な『浮雲気功』を練り上げ、剣身に薄い気の刃をまとわせた。


「ハァ? なんだ、この小娘は。そんななまくらで、俺たちの邪魔をする気か?」


 集落の奥から、地響きのような足音と共に、一人の巨漢が姿を現した。地方野盗『赤目一味』の副頭目――片目の猪(カタメノイノシシ)である。身長二メートルを遥かに超え、全身が猪のような剛毛に覆われたその大男は、肩に規格外の武器を担いでいた。


 それは、黒い鋳鉄で鍛え上げられた巨大な『百斤鉄槌(ひゃっきんてっつい)』だった。常人であれば持ち上げることでさえ不可能なその鉄の塊は、ただそこにあるだけで、周囲の大気を重苦しく圧迫している。


「お前たちの暴挙は、この私が止める!」


 沙耶は鋭い呼気と共に地を蹴った。神楽流・落葉斬(らくようざん)。彼女の身体は風のように軽やかに舞い上がり、上段から一気の唐竹割りを放った。折れた『落葉』の刃が、鋭い風切り音を立てて巨漢の脳天へと迫る。


 しかし、片目の猪は避ける素振りすら見せなかった。彼はただ、不気味な笑みを浮かべながら、手にした百斤鉄槌を無造作に頭上へと掲げた。


 ――ガァァァァン!


 金属同士が激突する凄まじい轟音が集落に響き渡り、周囲の泥水が衝撃波で円状に弾け飛んだ。沙耶の鋭い一撃は、巨大な鉄槌の質量によって完璧に受け止められていた。刃を通じた圧倒的な反動が、沙耶の華奢な両腕へとダイレクトに突き抜ける。


「くっ……!」


 腕の骨が軋み、指先の感覚が一瞬で吹き飛ぶ。まるで鉄の山を直接叩いたかのような絶望的な硬さ。彼女の持つ『落葉』の折れた刃先から、さらに微細な鉄屑が飛び散り、新たなひびが刻まれた。


「ちょこまかと、鬱陶しい蝿め!」


 片目の猪が鼻息を荒くし、鉄槌の太い柄を力任せに横へとなぎ払った。沙耶は本能的に身を翻し、彼の死角である左側――失われた片目の側へと滑り込んだ。空中で身をひねり、巨漢の無防備な首元を目がけて鋭い一突きを放つ。


 だが、手応えは最悪だった。刃が彼の皮膚に触れた瞬間、まるで濡れた牛革を刺したかのような鈍い抵抗感しか得られなかった。猪の皮膚は、長年の荒行と天性の頑強さによって、生半可な剣気を通さないほどに厚く鍛え上げられていた。首筋に薄い赤い線が走っただけで、巨漢は痛がりもせず、ただ怒りを倍増させただけだった。


「死ねい!」


 猪が鉄槌を大上段に振り上げ、そのまま地面へと全力で叩きつけた。


 その瞬間、集落の泥土がまるで爆発したかのように弾け飛んだ。百斤の鉄の質量が大地を穿ち、凄まじい衝撃波が地中を伝わって沙耶の足元を襲う。ドゴォォンという地鳴り。足元の泥が急激に陥没し、沙耶は完全に体の重心を失った。浮雲気功の未熟な内力では、この大地の揺れをいなすことができない。


 体勢を崩し、宙に浮いた沙耶の細い胴体を目がけ、片目の猪の非情な追撃が放たれた。横一線に放たれた鉄槌の払いが、逃げ場のない彼女の側腹部を捉える。


 ――バキィッ!


 沙耶の身につけていた古い革の肩当てが粉々に砕け散り、鈍い破壊音が響く。彼女の肋骨に微細なひびが入る激痛が走り、肺の中の空気がすべて強制的に押し出された。


「ああっ……!」


 沙耶の華奢な体は、木の葉のように虚空を舞い、そのまま避難民のテント二棟をなぎ倒しながら、冷たい泥水の中へと激しく叩きつけられた。全身を泥まみれにし、彼女は激しく咳き込んで血の混じった泥水を吐き出した。手から滑り落ちた『落葉』は、数歩離れた泥の中に無残に突き刺さっている。立ち上がろうとするが、脇腹を走る激痛と、内力の完全な霧散により、指一本動かすことさえできない。


 周囲では、逃げ遅れた難民たちが絶望の声を上げていた。権造は動けず、お咲は泣き叫んでいる。彼らを救うべき沙耶の剣は、すでに手元にない。


 片目の猪が、ずしり、ずしりと泥を踏みしめながら、倒れた沙耶へと近づいてきた。その唯一の濁った瞳には、無慈悲な殺意と、弱者を蹂躙する悦楽がギラギラと輝いている。彼は沙耶の目の前で立ち止まると、泥にまみれた彼女の顔を見下ろし、邪悪な笑みを深く刻んだ。


「口程にもない小娘め。お前のおかげで、今日の略奪はさらに楽しくなった。その生意気な頭を、この槌で跡形もなく叩き潰してやる!」


 巨漢は両手で百斤鉄槌をゆっくりと、しかし確実に頭上へと持ち上げた。冷たい朝霧を浴びて、鉄槌の黒い鋳鉄が不気味に光る。その影が、泥の中に倒れる沙耶の顔を完全に覆い尽くした。


 沙耶は死の恐怖に目を見開きながらも、突き刺さる父の剣を見つめ、無念の涙を流した。もはや、彼女にこの槌を防ぐ術は残されていない。


 物陰の暗闇、引き裂かれたテントの影で、隻腕の老人――慕容枯は静かに息を潜めていた。彼の左手は、懐の『慕容楓の形見の鈴』の冷たさを感じていた。かつて救えなかった妹の最期が、目の前の沙耶の姿と重なり、彼の右肩の『腐骨毒』が、まるで燃え盛る炭を押し当てられたかのように激しく暴れ出す。経絡が軋み、全身の骨が悲鳴を上げていた。


(元信……お前の娘を、ここで死なせはしない。たとえこの肉体が、今この瞬間に石と化そうとも!)


 枯の瞳に、すべての諦念を焼き尽くすほどの、凄まじい剣意の炎が灯った。彼の左指が、地面の小石を静かに拾い上げる。


 だが、地上の死神は待ってはくれない。片目の猪の太い腕が激しく脈打ち、百斤の鉄槌が、沙耶の脳天に向けて一気に振り下ろされた――!

HẾT CHƯƠNG

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