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闇市の取引、落葉の目覚め

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冷たい雨が、落日谷の境界を塞ぐ泥濘を容赦なく叩いていた。赤茶けた泥水が街道を川のように流れ、ぬかるんだ地面からは、腐った木の葉と湿った鉄錆の匂いが立ち上っている。十年に一度の血霧が去った後の大気は重く冷たく、まるでこの谷全体が、巨大な濡れた外套に包まれているかのようだった。


「沙耶姉ちゃん、ほら、もっと前屈みになって。そんなに背筋をピンと伸ばしてたら、一目で女だってバレちゃうよ」


 泥だらけの路地裏で、お咲が沙耶の着物の襟元をぐいと引っ張った。沙耶が身につけているのは、お咲がどこからか調達してきた、継ぎ接ぎだらけの男物の粗末な麻衣だ。体に対してあまりにも大きすぎるため、腰紐を固く結び、泥を顔や首筋に塗りたくって、ようやく「行き倒れの泥棒小僧」といった風情を取り繕っていた。


「う、うん……これでいい?」


 沙耶は掠れた声で応じた。胸を張るたびに、衣服の下で肋骨のひびがキリキリと疼く。片目の猪が放った百斤鉄槌の衝撃は、未だに彼女の華奢な骨に鈍い痛みを残していた。だが、お梅の薬草庵の寝台で、右肩から黒い血を流し、左足を完全に石化させて昏睡している隻腕の老兵――枯の姿を思えば、この程度の痛みなど塵に等しかった。


(おじいさんは、私のために命を削って戦ってくれた。今度は、私がお父さんの剣を直して、あの人を守るんだ……)


 沙耶の背中には、粗末な襤褸布で厳重に包まれた『折れた愛剣・落葉』が括り付けられていた。半ばから無残に折れ、ひび割れた刀身は、今や実戦に耐えうる状態ではない。これを修復するには、不純物を焼き尽くす超高温の熱源である『神木炭』がどうしても必要だった。しかし、それは朝廷の守備隊長・黒田源信の厳しい管理下にある『炭焼き窯』に保管されている。


「大丈夫、あたしについてきて」


 お咲はくりくりとした瞳を油断なく輝かせ、すばしっこい足取りでぬかるみを進んだ。目指すは、街道沿いに建つ一軒の古びた木造の居酒屋。汚れた赤提灯が風雨に激しく揺れ、中からは荒くれ者たちの怒号と、安酒の酸っぱい匂いが漏れ聞こえていた。こここそが、朝廷の監視の目を潜り抜ける闇市場の入り口――『十兵衛の居酒屋』だった。


 沙耶は懐の革袋をそっと確かめた。中には、数本の錆びた実用ナイフや古い鎌が入っている。それらは、万剣塚に逃げ込んできた貧しい難民たちが使い潰し、枯が夜な夜な、隻腕で黙々と磨き直していた道具だった。言葉を持たぬ老墓守が、ただ他者のために施した無言の善行。その刃先は、今や鏡のように冷たい光を反射し、触れるだけで指先が切れそうなほどの恐るべき鋭さを取り戻していた。


「これを十兵衛に売って、神木炭の取引の資金にするのね……」


「そう。十兵衛の親父はケチだけど、腕のいい刃物には目がないからね。朝廷の兵隊たちの噂話も、あの店に一番集まるんだ」


 お咲が引き戸を静かに開けると、店内の熱気が一気に二人の顔を包み込んだ。炉端の煙、安物の焼き魚の脂、そして兵士たちの汗の臭い。店内には、黒田守備隊の灰色の軍服を着た下級兵士や、ナタを腰に下げた野盗の残党たちが、泥酔してくだらない罵り合いを繰り広げていた。誰も、入り口に現れた二人の薄汚い小僧に目を留める者はいない――ただ一人を除いて。


 店の奥、薄暗い炉端に、禿げ上がった頭を光らせた頑強な中年男が立っていた。前掛けを固く締め、真鍮の算盤を弾いている男――居酒屋の主人、十兵衛である。


「へっ、また泥棒猫が迷い込んできたか。うちは物乞いに分けるお粥はねえぞ」


 十兵衛は沙耶とお咲を睨みつけ、わざとらしく大きな声を上げた。その鋭い瞳は、沙耶の背中にある襤褸布の包みと、首元から覗く『風鳴りの鍔』を一瞬で捉えていた。十兵衛は、この少女がかつて背中を預け合った親友・神楽坂元信の娘であることを察していた。だが、周囲の兵士たちの目を欺くため、あえて冷酷な商人としての態度を崩さない。


「お、おじさん……これを見てほしいんだ。買い取って、食い物と替えてくれよ」


 沙耶は男装の声を意識しながら、懐から革袋を取り出し、カウンターの使い古された木の机の上に置いた。中から、枯が磨き上げた一本の古い実用ナイフが滑り出る。


 十兵衛は鼻で笑いながら、そのナイフを無造作に手に取った。しかし、その親指の腹が刃先に微かに触れた瞬間、男の目が不自然に細められた。十兵衛の算盤を弾く指が止まる。


(……この研ぎの波紋、そして金属の歪みを完全に殺した刃線。間違いない。あの隻腕の老いぼれが、夜な夜な白砥石で叩いた刃だ)


 十兵衛は驚愕を押し殺し、ナイフを光にかざした。ただの安物の鉄が、まるで名だたる名工が鍛え上げた名剣のような、凛とした冷たい剣気を放っている。枯の内功が、研磨を通じて金属の分子の奥深くにまで染み込んでいる証拠だった。


「ふん、ただのナマクラかと思えば、少しはマシな刃がついてやがるな。だが、これじゃあ大した金にはならねえ」


 十兵衛は冷たく吐き捨てながら、沙耶を店の奥の狭い帳場へと手招きした。兵士たちの怒号から離れた薄暗い影の中で、十兵衛は声を極限まで潜めた。


「小娘、何の用だ。あの老いぼれはどうした?」


「おじいさんは……お梅さんのところで眠っているわ。動けないの。私は、お父さんの『落葉』を直すために、どうしても『神木炭』が必要なの」


 沙耶は必死の眼差しで十兵衛を見つめた。十兵衛はため息をつき、頭を掻いた。


「神木炭だと? あれは朝廷の『鉄資源徴発令』で、守備隊が炭焼き窯を完全に押さえている。闇市でも金じゃあ手に入らねえ代物だ。だが……」


 十兵衛は枯が磨いたナイフを見つめた。


「この刃の鋭さなら、炭焼きの茂吉の奴も納得するだろう。あいつは朝廷に炭を奪われるのを死ぬほど嫌がっている。茂吉が密かに俺のところに流してきた神木炭が、地下の酒蔵に一袋だけ眠っている。このナイフ三本と、お前が持ってきた他の実用具すべてと交換だ。どうする?」


「お願い、取引して!」


 沙耶は躊躇うことなく、革袋のすべてを十兵衛に差し出した。十兵衛は素早く算盤を叩き、奥の扉から、重く黒い麻袋を一つ抱えて戻ってきた。袋の隙間から、鉄のように硬く、鈍い漆黒の光を放つ『神木炭』が覗いている。通常の炭とは違い、触れると微かに金属のような冷たい重みがあった。


「これを持っていけ。だが、絶対に黒田の奴らに見つかるなよ。お梅の庵の周囲も、最近守備隊の斥候がうろつき始めている。お前たちの動きは、すでに嗅ぎ回られていると思った方がいい」


「ありがとう、十兵衛さん……!」


 沙耶は神木炭の袋をしっかりと抱きしめ、襤褸布の外套の下に隠した。取引は成功した。胸の奥に、確かな希望の火が灯るのを感じていた。


 しかし、彼女たちが帳場から出たその瞬間、居酒屋の薄暗い角の席から、じっとこちらを見つめる一対の瞳があった。


 桃色の色褪せた着物をまとい、髪を乱した可憐な避難民の若い女性――お蓮(オレン)だった。彼女は、黒田源信の配下である忍びであり、難民を装って谷に潜入した美貌の女スパイだった。


 お蓮は、沙耶が帳場から出てきた際、彼女の歩き方に注目していた。男装をして泥に塗れてはいるが、腰のひねりと足の運びが、明らかに鍛えられた武芸者のものである。そして何より、居酒屋のひび割れた木扉から冷たい秋風が吹き込んだ、その一瞬だった。


 キーン――。


 沙耶の襟元の奥から、風を吸い込んだ金属が、哀しくも美しい音色を奏でた。それは、風間烈の息子・慎之介の遺品である『風鳴りの鍔』が放つ、世界に二つとない独特の共鳴音だった。


(あの音……間違いない。無双剣宗の生き残り……そして、あの隻腕の達人と繋がっている小娘ね)


 お蓮の瞳の奥に、獲物を狙う蛇のような冷徹な光が宿った。彼女の唇が、不気味に、しかし極めて美しく歪む。お蓮は静かに立ち上がり、沙耶たちが店を出るのを見届けると、自身の髪飾りに偽装された薄い剃刀を指先で確かめながら、静かにその後を追った。


 冷たい雨が降り続く街道の出口。沙耶がお咲と共に、神木炭の重みを感じながら歩みを急ごうとしたその時、前方の泥濘の中で、お蓮が力なく崩れ落ちるように倒れ込んだ。


「うっ……誰か……お恵みを……」


 儚げな悲鳴が、雨の音に消えそうになりながら、沙耶の耳へと届いた。

HẾT CHƯƠNG

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