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黎明の一斉蜂起

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タタロス魔導監獄の夜明けは、常に重苦しい鉄の匂いと共に訪れる。


 しかし、その日の朝は違っていた。第四採掘鉱区の冷え切った大気の中に漂っていたのは、張り詰めた硝煙の気配と、数千人の囚人たちが押し殺した呼吸の熱量。バルザック看守長が宣告した「削減執行」――囚人全員の一斉処刑まで、残された時間はあとわずか。監獄の最底辺に沈んでいた無名者たちの目には、絶望ではなく、静かに燃える叛逆の火が灯っていた。


「……時間だ」


 崩落の跡地に身を潜めていたトウヤは、懐から取り出した古い懐中時計の文字盤を見つめ、静かに呟いた。彼の左手の指先は、まるで淡い霧のように半透明化し、光の加減で微細な古代ルーンが明滅している。魔術を、世界のシステムをハッキングするたびに削り取られていく自己の存在。トウヤはそれを無視するように、感覚の麻痺し始めた左手を強く握り締めた。


 隣に立つ天才剣士シンが、折れた愛刀『黒鋼』の柄に手をかける。その切れ長の瞳は、研ぎ澄まされた刃のように鋭く前方の暗闇を見据えていた。彼を縛っていたバルザックの従属契約は、トウヤの論理ハッキングによって一時的に「存在しない偽名」へと書き換えられ、完全に無効化されている。シンの全身からは、かつて帝国若手剣術首席と謳われた頃の、濁りのない圧倒的な闘気が静かに立ち上っていた。


「ボルドの親方が動く。チコ、ガンツの様子は?」


 トウヤが振り返ると、影に潜んでいた少年チコが、必死に頷いた。その腕の中では、かつてトウヤを庇って全身に重傷を負った巨漢の囚人ガンツが、ひどく荒い息を吐きながらも、壁に背を預けて立ち上がろうとしていた。両腕を骨折し、首元には電撃の焦げ跡が生々しく残る満身創痍の体。それでも、ガンツの濁った瞳には、トウヤを守り抜くという狂気的なまでの忠誠心が宿っている。


「大丈夫だ、トウヤ……。俺の身体は、まだ……動く。お前の『盾』になるためなら、この骨など、何本のまれても構わん……」


「無理はするな、ガンツ。だが、君の力が必要な瞬間は必ず来る」


 トウヤが言い終えた、その瞬間だった。


 キィィィン――!


 第四採掘鉱区の最深部から、金属同士が激しく衝突するような、甲高い音が響き渡った。それはボルドが、採掘用の重工具を地脈の魔力石「マナ・クォーツ」の接続点へと叩き込んだ合図だった。


 ドォォォォォン!


 すさまじい爆鳴が轟き、足元の岩盤が狂ったように波打った。過剰に圧縮された魔力石のエネルギーが一斉に解放され、鉱山エリアのあちこちで局所的な大爆発が連鎖する。立ち込める黒煙と、噴き出す青白い魔力の火花。看守たちの怒号と、それを受け流すような囚人たちの地鳴りのような咆哮が、暗黒の空洞を埋め尽くした。


「なんだ!? 何が起きた!」


「囚人どもが暴動を起こしたぞ! 鉱区を閉鎖しろ!」


 巡回していた看守たちがパニックに陥り、魔導銃を乱射する。しかし、ボルド率いる『第四鉱区採掘同盟』の労働者たちは、頑強なピッケルや重工具を武器に、一糸乱れぬ動きで看守たちの防衛線を分断していった。一人の遅れは全員の死。彼らの脳裏には、トウヤが魔力炉の暴走を止めて自分たちを救ったあの瞬間と、「全員で脱獄する」という冷徹な勝算が刻まれていた。これは、名無しの奴隷たちが、支配者が定めた法律魔術の檻を物理的に食い破る、黎明の一斉蜂起だった。


「行くぞ。看守棟への最短ルートを強行突破する」


 トウヤを先頭に、彼らは爆煙の中を疾走した。チコが『完全気配遮断』を使いながらガンツを巧みに誘導し、シンがその前方を風のように駆け抜ける。暴動の混乱により、看守たちの配置は完全に分散していた。トウヤの「真名視」の視界には、監獄内の防衛センサーが次々とビジー状態(処理落ち)に陥っていく青いデバッグコードが映し出されていた。計画通りだ。


 しかし、看守棟「鉄血の砦」の巨大な黒鋼の防壁が目の前に迫ったその時、通路の奥から立ち上った圧倒的な魔力圧が、トウヤたちの足を物理的に静止させた。


「――ここまでだ、家畜ども」


 黒煙を切り裂いて現れたのは、全身を重厚な黒鉄の鎧で包み、身の丈を超える巨大な黒剣を背負った大男。バルザック看守長の忠実な右腕にして、囚人たちを恐怖で支配してきた処刑人――副看守長グレゴールだった。


 彼の背後には、一糸乱れぬ動作で魔導銃を構える執行官部隊が控えている。グレゴールがゆっくりと巨大な黒剣を引き抜くと、その刃から放たれる赤黒い魔力が、周囲の重力を物理的に歪め始めた。石床の瓦礫が、目に見えない圧力によってピキピキと音を立てて粉砕されていく。


「副看守長グレゴール……」


 シンが折れた黒鋼を構え、鋭く息を吸い込む。しかし、グレゴールの纏う『重力圧殺』の魔力は、シンの闘気すらも押し潰さんばかりの質量を持っていた。


「看守長の命令だ。脱獄の首謀者であるお前たちの真名を剥奪し、ここで肉体ごと粉砕する」


 グレゴールは一切の詠唱を行わず、ただ無言で黒剣を振り下ろした。空気が物理的に圧縮され、漆黒の重力波が嵐となってトウヤたちに向けて殺到する。防壁の石壁が容易に削れ、直撃すれば肉体など一瞬で消滅する破壊力だった。


(ハッキングを……!)


 トウヤは瞬時に左目のモノクルのダイヤルを回し、グレゴールの放った魔術の構造をデコードしようとした。しかし、彼の左目が捉えたのは、文字の記述を持たない「純粋な物理衝撃」の塊だった。グレゴールは言葉を発さず、ただ自身の筋肉と魔力を契約によって強制結合させる『鋼筋調律法』に徹している。論理的な脆弱性(バグ)を突くための、詠唱も、ルーンの記述も、そこには存在しない。


「くっ、ハッキングの起点がない……!」


 トウヤが息を呑んだその瞬間、満身創痍のガンツが前に躍り出た。骨折した両腕は使えない。しかしガンツは、爆発によって崩落した石壁の巨大な瓦礫を、その強靭な胸と肩だけで体全体で支え、トウヤの前に物理的な「盾」として立ちはだかったのだ。


「トウヤ……! 演算に、集中しろ! 俺の身体がある限り……この重力など、通させん!」


 ドゴォォォン!


 グレゴールの放った重力波が、ガンツの支える瓦礫の盾に激突した。凄まじい衝撃音と共に、瓦礫の表面が粉々に砕け散り、ガンツの口から鮮血が噴き出す。彼の足元の石床が重圧で陥没し、骨折した腕の傷口から血が滲む。それでも、ガンツは一歩も引かなかった。彼の執念の防壁が、トウヤの前に絶対的な安全領域(ヌル・スポット)を作り出していた。


「ガンツ……!」


「言ったはずだ、俺は君の『矛』だと。――『無名剣・瞬塵』!」


 シンの姿が、かき消えるように消えた。重力の嵐を切り裂き、シンは神速の踏み込みでグレゴールの懐へと潜り込む。折れた『黒鋼』から放たれた青白い剣気が、グレゴールの巨大な黒剣の側面へと叩き込まれた。キィィィンと金属音が響き、シンの放った一撃が、グレゴールの黒剣の軌道を物理的にわずかに逸らす。看守側が地形と物理火力で圧倒する中、シンの神速の踏み込みが、グレゴールの完璧な間合いを崩したのだ。


「小賢しいネズミめ!」


 グレゴールが激昂し、さらに黒剣を薙ぎ払う。しかし、トウヤの左目は、その一瞬の激突の間に、世界の裏側に流れる「青い糸」の真実に到達していた。


(違う……グレゴールの重力制御は、彼自身の魔力だけで維持されているわけじゃない。奴の足元の地面――看守棟の床に埋め込まれた『地脈魔力回路』と、奴の『鋼鉄の首輪』が、常時接続の等価交換契約を結んでいるんだ!)


 物理攻撃に特化した敵であっても、その超常的な力を維持するためには、必ずシステムからの「エネルギー供給」という契約が存在する。トウヤは、グレゴールの足元の地面に流れる、微細な青い契約線のノイズを捉えた。


「シン! グレゴール自身を斬るな! 奴の足元――左斜め三歩先の石床に流れる、青い魔力回路の接続点を斬れ!」


 トウヤの叫び声に、シンは一切の迷いなく反応した。空中で身を翻し、折れた黒鋼の刃を石床へと叩きつける。


「――はあああ!」


 ドガァン!


 シンの剣気が石床を深く斬り裂き、床下に隠されていた青い魔力回路を物理的に切断した。瞬間、グレゴールの黒剣から放たれていた赤黒い重力波が、まるで糸の切れた人形のように一瞬で霧散し、彼自身の質量が急激に不安定化してよろめいた。


「なっ……魔力供給が、遮断されただと!?」


 グレゴールが驚愕に隻眼を見開く。しかし、彼は監獄の副看守長だ。この程度の不測の事態で、彼の戦闘本能が衰えることはなかった。グレゴールは自身の体内の魔力を強引に暴走させ、質量を倍加させた巨大な拳を、ガンツの支える瓦礫の盾へと直接叩き込もうとした。


「死ね、家畜どもが!」


 グレゴールの放つ、物理的な破壊のエネルギーを宿した拳が、ガンツの盾を物理的に完全に粉砕しようとする、まさにその瞬間――。


 トウヤの左目の奥が、強烈な熱を帯びて回転した。視界の中に広がる、看守たちを統制する「赤い命令シグナル」。一斉暴動の混乱と、魔力炉の出力異常により、看守たちの『服従命令系統』の記述に、致命的な一時的エラー(脆弱性)が発生しているのを、彼の左目は完璧に捉えていた。


(……見つけた。これが、看守たちの命令系統の、致命的な隙だ!)

HẾT CHƯƠNG

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