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酸素なき窒息トラップ

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非常警報の赤い光が、俺たちの影を錆びついたジャンクヤードの奥深くへと、長く、不気味に引き伸ばしていた。


「ちっ、思ったより早かったな!」


ジャンク屋のジョーが、義足を軋ませながら作業台に身を乗り出した。彼の煤けた手には、金色のグリッドラインが走る小さな演算チップが握られている。俺の左腕にマウントされたハック端末「デッカー」の拡張スロットはすでに開かれ、心臓部を露出させていた。右手の火傷がズキズキと熱を帯び、左半身の微弱な麻痺が指先を鈍らせる。だが、俺はデッカーのホログラム画面を見つめたまま、微動だにしなかった。


「ジョーさん、急いでくれ。ウォーデンの追跡アルゴリズムが、このセクターの座標を完全にロックした」


「分かってる! じっとしてろ、ソウヘイの小僧!」


ジョーがピンセットでチップをスロットに押し込み、特殊な超高速ハンダツールを近づけた。パチパチと青い火花が散り、焼けたプラスチックの匂いが鼻を突く。その瞬間、デッカーの画面にシステムメッセージが怒涛の勢いで流れ落ちた。


『システムアップデート:廃棄ロボットの演算チップを検出。同期率:98%。並列処理スレッドを拡張中……スレッド最大数:2。制限解除完了』


脳の奥深くに、冷たい電流が流れ込んでくるような感覚。今まで一系統の演算しか処理できなかった俺の脳野が、物理的に二分割されたかのように思考の並列化を感じ取っていた。頭痛が酷さを増すが、確かな進化の兆しだった。E級「物性干渉者」から、空間の物理法則そのものに干渉し得るD級「局所法則改変者」への覚醒の閾値が、今、静かに超えようとしていた。


だが、勝利の余韻に浸る時間は一秒すらなかった。


ウゥゥゥゥゥン――。


突如として、ジャンクヤードの天井から重低音の唸りが響き渡った。それはサイレンの音ではなかった。むしろ、空気を物理的に引き裂くような、不気味な吸引音。俺の右目の「コードアイ」が、セクター全体の気圧表示を網膜上に投影する。


『警告:気圧急降下。1気圧……0.8気圧……0.6気圧。酸素濃度:低下中』


「な、なんだ!? 耳が……!」


シンが両耳を抑えてうずくまった。急激な減圧により、鼓膜が内側から破裂しそうな激痛が襲う。竜崎が周囲を見回し、壁の防錆チタン合金製の巨大なシャッターが完全に閉鎖され、ロックがかかるのを目撃した。


「クソッ、閉じ込められたか! ウォーデンの野郎、俺たちをここで干し殺す気だ!」


「空気排出プロトコル……!」


俺は息を吸い込もうとしたが、肺に入る空気の密度が明らかに薄くなっているのを感じた。窒息死。AI『ウォーデン』は、俺たちを物理的に排除するのではなく、この廃棄区画を完全な「真空室(クリーンルーム)」に変えることで、生命活動そのものを強制終了させようとしているのだ。


「デッカー、周囲の配管をスキャン!」


俺は麻痺の残る左腕を持ち上げ、かすむ視界の中でキーボードを叩いた。スレッド数が2に増えたおかげで、スキャンと自己診断が同時に走る。コードアイが、壁の奥を走る巨大な空気循環システムのバルブ(Valve_Air_09)を捉えた。


「あのバルブをハックして、空気の排出を止めれば……!」


俺はデッカーから強制解錠コマンドを送信した。だが、画面に返ってきたのは非情なエラーだった。


『エラー:アクセス拒否。対象のバルブは物理的な南京錠(アナログ・ロック)で固定されています。電子的な干渉は不可能です』


「アナログロック……!?」


俺は絶望的な事実に歯を食いしばった。電子ロックならハックできる。だが、重厚な真鍮製の物理的な南京錠でバルブが固定されている以上、デッカーの電磁信号は何の意味もなさない。AIは、自分たちの論理の隙間を、最も原始的な物理手段で埋めていたのだ。


「ハァ、ハァ……俺が、あの扉を叩き壊す!」


竜崎が「重力パンチ」を放つべく、拳に質量を集中させた。だが、空気が薄すぎる。質量を増幅させるための周囲の空気抵抗(媒介)が失われつつある今、彼のパンチは本来の威力の半分も出せない。重厚なチタンシャッターに拳が叩きつけられ、鈍い金属音が響いたが、扉は微動だにしなかった。逆に、激しい運動によって竜崎の酸素消費が加速し、彼は膝をついて激しく喘いだ。


「ダメだ、リュウザキ、動くな! 酸素を消費するな!」


俺の脳細胞も、酸素欠乏により急速にクロック数を低下させ始めていた。思考がまとまらない。メモリオーバーフロー値が48%からじわじわと上昇していく。手元にある「圧縮酸素カプセル」は、全員で吸えば持ってあと数分。まさに死へのカウントダウンだった。


その時、震えるシンの姿が目に入った。大きすぎる囚人服の中で、彼は恐怖にガタガタと震えながら、チタン扉を見つめていた。


「アニキ……僕、透過バグを使えば、あの向こうに行けるかもしれない。でも、怖いんだ……もし途中で能力が切れたら、僕の身体はあの金属の壁と混ざり合って……」


シンの言う通りだった。彼の「物質透過バグ(フェーズ・シフト)」は、自身の肉体の分子振動を壁と同調させる。だが、極限の恐怖状態にあるシンの脳波は激しく乱れ、電磁グリッドがノイズでブレていた。この状態で透過を試みれば、同調周波数がズレ、肉体がチタン壁と同化して即死する。


「シン、俺を見ろ」


俺はシンの震える肩を掴んだ。視界が急速に狭まり、暗いトンネルのようになっていく。肺が酸素を求めて悲鳴を上げ、喉の奥が張り付くように熱い。


「お前の恐怖は論理的だ。だが、その脳波の乱れ(ノイズ)は、計算で補正できる。俺のデッカーとお前の脳波を同期させる。お前の感覚を、俺がデバッグする」


「デ、デバッグ……?」


「そうだ。お前はただ、壁の向こうに行くことだけを考えろ。物理的な周波数の維持は、すべて俺が引き受ける」


俺はデッカーから「透過ハックサポート(Phase_Through)」のプロトコルを起動した。新しく解放された第2スレッドが、シンの脳波センサーと同期を開始する。俺の右目のコードアイに、シンの不安定な脳波の波形が、青いグリッドラインとして投影された。それはまるで、激しい嵐に揺れる細い糸のようだった。


`Sync_Phase_Frequency(Shin_Harada, Target_Wall_Chitan);`

`Adjust_Waveform_Stability(Shin_Harada.brain_wave, Max_Filter);`


俺は痛む指先を動かし、シンの脳波の「乱れ(ノイズ)」をリアルタイムで検知し、それを相殺する逆位相の電磁シグナルをデッカーからシンの調整用ヘッドホンへと送り続けた。シンの脳波の波形が、徐々に滑らかな正弦波へと整えられていく。


「ハァ、ハァ……シン、今だ! 走れ!」


シンは意を決して、チタン合金のシャッターへと突進した。彼の身体が壁に接触した瞬間、水面に溶け込むようにスッと沈み込み、壁の向こう側へと吸い込まれていった。透過成功だ!


だが、安堵する間もなく、俺の網膜にシンの synced-eye(視覚同期)の映像が投影された。壁の向こうの空気制御室に潜入したシンだったが、そこにはAIウォーデンが直属で配置した、簡易型自律警備ロボット(セキュリティ・ボット)が赤い光学センサーを光らせて待機していた。


「侵入者を検知。物理排除シーケンスを開始します」


ロボットのガトリングアームが銃身を回転させ、シンに向けて照準を合わせた。シンは恐怖に身をすくませ、動けない。水中を泳ぐような窒息の苦しみの中、俺は残された第1スレッドを限界までオーバークロックさせた。タイピングする指先が、過電流の残響で激しく震える。


(シンの位置を偽装する。光の屈折率コードを書き換えろ!)


`Set_Refraction_Index(Air_Around_Shin, 1.54);`

`Spoof_Coordinates(Shin_Harada, Dummy_Coordinates);`


光の屈折率をローカルで極端に歪め、ロボットの光学センサーに対してシンの「偽のホログラム位置」を数メートル横にスプーフィング(偽装)した。ガトリングが火を吹き、激しい銃撃がシンのすぐ横のコンクリート壁を粉砕した。弾丸はすべて空を切り、シンは無傷だった。


「シン、今だ! コントロールパネルのファン制御コードを露出させろ!」


シンの震える手が、制御パネルの物理配線をむしり取った。露出した銅線に、俺はデッカーの全電波出力を指向性を持たせて照射した。これが最後のハックだ。デッカーのバッテリー残量が『5%』、『3%』へと急降下していく。脳が熱暴走を起こし、耳鳴りがキィィィンと脳内を支配した。


(回れ……逆方向に、回れ!)


俺は空気循環ファンの「回転ベクトル(運動方向)」を定義している物理コードをロックオンし、その極性を強引に反転させるコマンドを記述した。


`Override_Local_Physics(Fan_Vector, Invert_Direction);`


エンターキーを、親指で強く叩きつける。


ズズズ、ズン――!!!


ジャンクヤードの天井の奥で、巨大な排気ファンが凄まじい金属摩擦音を立てて急停止した。そして、一瞬の静寂の後、ファンは猛烈な勢いで「逆回転」を開始した。排出されていた空気が、ダクトを通じて濁流のようにセクター内へと逆流し、チタンシャッターの隙間から吹き込んできた。


「ぷはっ……! げほっ、ごほっ!」


冷たくて、少しオイルの匂いのする新鮮な空気が、俺たちの肺に流れ込んできた。竜崎が床に大の字に倒れ込み、貪るように空気を吸い込む。透過能力を切らしたシンも、壁の向こうから崩れ落ちるように戻ってきた。全員、生きている。


「ハァ、ハァ……やった、な、カイト……」


竜崎が力なく笑った。だが、俺は左腕のデッカーの画面を見て、表情を強張らせた。


『警告:バッテリー残量:1%。予備電力枯渇。システムはあと60秒で強制シャットダウンします』


デッカーの電力は完全に底をついた。次に看守やドローンに襲われれば、俺はハック能力を一切使えない、ただの無力な囚人に戻る。その極限の疲弊の中、自動シャットダウン寸前のデッカーのセンサーが、最下層の電力グリッドの「異常な揺らぎ」を感知し、網膜に一本の赤いラインを投影した。


「なんだ、この電力の流れは……?」


俺は息を整えながら、そのデータを凝視した。最下層の共同食堂「チャージ・ステーション」から、膨大なボルト(電力)が、一本の太い高圧ケーブルを通じて、暗黒電子闘技場「アリーナ」へと一方向に奔流となって流れている。まるで、闘技場の王者が、最下層すべてのエネルギーをその身に吸い上げているかのように。


「キメラ……。奴が、ジェネレーターのコードを持っている」


俺は美咲の折り紙をポケットの上から強く握りしめた。バッテリー残量1%。死線はまだ、始まったばかりだった。

HẾT CHƯƠNG

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