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ジャンクヤードの死闘

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非常警報の赤い光が、シキシマ・クリニックの湿ったコンクリート壁を血のように染め上げていた。あの無機質なシステムAI『ウォーデン』の排除プロトコルが起動した瞬間、俺たちは敷島医師の制止を振り切り、辛うじて脱出した。竜崎が俺を担ぎ、シンが恐怖に震えながらも物質透過能力『フェーズ・シフト』で何重もの電磁隔壁をすり抜けさせてくれたおかげで、俺たちは今、最下層の最果てに位置する廃棄区画「ジャンク・ヤード」へと逃げ延びていた。


「はぁ、はぁ……ここまで来れば、奴らのセンサーも一時的には誤魔化せるはずだ」


俺は錆びついた鉄屑の山に背中を預け、激しく荒い息を吐き出した。敷島医師に処方された脳機能安定剤「シナプス・キーパー」のおかげで、脳内を狂暴に駆け巡っていたデジタルノイズは治まりつつある。だが、ハックの代償は重い。背中の裂傷はズキズキと痛み、右手の火傷は包帯越しに熱を帯びている。そして何より、左腕の電磁拘束具を改造した端末「デッカー」のバッテリー残量は、クリニックの非常用電源から急速チャージしたものの、現在『80%』。しかも、度重なる過負荷により最大演算スレッド数は『1』に制限されたままだった。


「おい、カイト。本当にそんな身体で動く気かよ。脳が沸騰して死にかけたんだぞ」


竜崎が、鋼のような腕を組んで俺を睨みつける。彼の言う通りだ。だが、俺の手のひらには、妹の美咲が遺した青い折り紙が握られている。彼女がシステムAIの『生体コア』として利用されているというあのカルテの記録が、俺の胸の中で冷たい怒りの炎となって燃え盛っていた。


「美咲が……俺を待っている。立ち止まっている時間はないんだ」


俺はかすむ視界を瞬きで払い、デッカーのコンソールを見つめた。今のデッカーの演算速度では、中層階へ繋がる中央エレベーターの強固なファイアウォールを突破するための、より複雑なコード記述が実行できない。ハードウェアの限界を突破するには、このジャンクヤードに投棄されている防衛ドローンの残骸から「廃棄ロボットの演算チップ」を回収し、デッカーの拡張スロットに組み込む必要があった。


「チップの在処は、ジャンク屋のジョーが知っているはずだ。奴の隠れ家へ行くぞ」


俺たちは、うず高く積まれた電子廃棄物の山の間を縫うように進んだ。ここはコンクリートの監獄でありながら、捨てられた機械の残骸が墓標のようにそびえ立つ、冷たくて硬質なサイバーパンクの墓場だ。静寂が支配するはずのその領域に、突如として不穏な金属音が響き渡った。


「……静かに。誰かいる」


シンの怯えた声に、俺たちは反射的に巨大なプレス機の影に身を潜めた。コードアイを起動し、右目の網膜に青いグリッドラインを展開する。視界の端に、複数の熱源反応と、不規則に明滅する電磁シグナルが投影された。


「おい、頑固者のジョー。さっさと隠し持っている『極上パーツ』の場所を吐け。さもなければ、その残った右足もサイバーパーツに変えてやるぞ」


下品な笑い声が静寂を切り裂く。廃棄されたコンテナの影から現れたのは、看守長鬼塚と裏で繋がり、最下層の闇市場を支配する凶悪な囚人グループ「キメラ一派」の構成員たちだった。その数は十名。彼らは改造された鉄パイプや、即席の単発式 pipe gun を手に、一人の老人を取り囲んでいた。


取り囲まれているのは、ジョーだ。義足の足を蹴られ、泥水の中に這いつくばりながらも、彼はゴーグルの下から鋭い眼光を放っていた。


「ケッ……お前らのような看守の犬に渡すチップなんざ、一ボルト分もねえよ」


「往生際が悪いな、クソジジイ!」


キメラ一派のリーダー格である Scarred Thug(傷のある男)が、ジョーの胸ぐらを掴み上げ、その首元に高周波振動ナイフを突きつけた。キィィィンという不快な高周波音が、錆びた空間に響き渡る。刃がジョーの皮膚を微かに裂き、赤い血が伝い落ちた。


「待て」


俺はプレス機の影から姿を現し、ゆっくりと両手を上げた。竜崎が「カイト、狂ったか!」と低く呻いたが、俺はそれを制した。今、物理的な攻撃を仕掛ければ、ジョーの首は一瞬で高周波ナイフに切り裂かれる。人質を取られたこの極限の状況を打破するには、目に見えない論理の刃を突き立てるしかない。


「なんだ、そのガキは? ……ほう、左腕のその端末、噂のハッカーの小僧か。看守長が血眼になって探している『エラー』が、自ら這い出てくるとはな」


リーダーが下卑た笑みを浮かべ、手下の数名に俺を包囲するよう顎で指示した。手下たちが modified pipe gun の銃口を俺の胸元に突きつける。冷たい鉄の感触。だが、俺の右目の「コードアイ」はすでに、彼らが持つすべての武器の「記述コード」をスキャンし終えていた。


(現在のデッカーのスレッド数は最大で『1』。同時に複数のハックは実行できない。ならば、コンマ秒単位のシーケンス(手順)を完璧に組み立てる必要がある)


俺の脳細胞が、超高速で演算を開始する。まずは、ジョーの命を脅かしている高周波ナイフだ。ナイフの刃そのものをハックするのではない。刃を高速振動させている、柄の内部の『超小型振動モーター』の周波数コードに干渉する。


`Set_Frequency(Thug_Leader_Knife.vibe_motor, 99999);`


俺は左腕のデッカーのホログラムキーを、片手で目にも留まらぬ速さでタイピングした。Enterキーを叩く。ハック信号が空中を走り、高周波ナイフの制御チップへと侵入した。


キィィィィィィン!!!


突如、ナイフの振動音が鼓膜を突き破るほどの超高音へと跳ね上がった。モーターが限界を超えて共振し、激しい熱を帯びる。


「あ、熱っ!? な、なんだこれは!」


熱暴走を起こしたナイフのハンドルが激しくスパークし、リーダーの掌の皮膚を焼き切った。彼は悲鳴を上げてナイフを手放す。高周波ナイフはジョーの首元から離れ、放物線を描いて泥水の中へと弾け飛んだ。人質は解放された!


「ジョー、伏せろ!」


俺の叫びと同時に、周囲の構成員たちがパニックに陥り、俺に向けて pipe gun の引き金を引き込もうとした。その瞬間、俺はすかさず次のハックコマンドをコンパイルする。スレッド数が1である以上、敵が引き金を引くその『刹那』に合わせて、一丁ずつ物理構造を自壊させるしかない。


`Deconstruct_Structure(Thug_Gun_01.barrel);`


コードアイで捉えた、最寄りの銃身の金属結合コードの「脆弱性」に、デコンストラクト信号を撃ち込む。構成員が引き金を引いた瞬間、銃身のチタン合金が分子レベルで豆腐のように脆化し、内部のガス圧に耐えかねてボロボロと砂のように崩壊した。弾丸は射出されることなく、銃身の中で暴発し、構成員の手に激しい裂傷を負わせた。


「ぎゃあああ! 俺の銃が爆発した!」


「次だ!」


俺は痛む右手を酷使し、キーボードを残像と共に叩き続ける。二丁目の modified pipe gun の引き金機構をロックし、三丁目の銃身を分子崩壊させる。デッカーのバッテリー残量がハックを実行するたびに『75%』、『70%』へと急激に減少していくが、俺の思考は一切の揺らぎを許さなかった。敵の攻撃行動そのものが、彼らの自滅のトリガーへと書き換わっていく。


「化け物め! ぶっ殺してやる!」


武器を失い、恐怖に駆られた構成員たちが鉄パイプを振り回して俺に襲いかかる。だが、彼らが俺の身体に触れる前に、背後から巨大な質量が嵐のように割り込んだ。


「おいおい、俺の存在を忘れてもらっちゃ困るな!」


竜崎豪が、ニヤリと豪快な笑みを浮かべて地面を踏みしめた。彼の周囲の空気が一瞬にして重く歪む。リュウザキは「重力操作バグ」をその拳に纏わせ、質量を十倍に増幅させた「重力パンチ」を容赦なく叩き込んだ。突進してきた構成員たちは、まるで巨大な鉄球に衝突されたかのように、一撃で廃棄物の山へと吹き飛ばされ、沈黙した。


わずか数十秒の死闘。ジャンクヤードに再び、冷たい静寂が戻ってきた。転がっているのは、自壊した武器の残骸と、気絶したキメラ一派の構成員たちだけだった。


「デッカー・バッテリー残量:60%。ハック成功。メモリオーバーフロー値:48%。許容範囲内」


俺は左腕の端末をリセットし、深く長い息を吐き出した。額から流れる冷たい汗が、右目の端を濡らす。等価交換の代償として、脳細胞がジリジリと焼けるような軽い頭痛が残ったが、まだ動ける。俺は物性干渉者「エディター」としての第一歩を、この過酷な実戦で完全に証明したのだ。


「ふぅ……命拾いしたな。おい、ハッカーの小僧。お前、本当にあの『ソウヘイ』の息子なのか?」


ジョーが義足を軋ませながら立ち上がり、不思議そうに俺を見つめた。彼は俺の左腕のデッカーに走る青い発光ラインを見て、納得したように深く頷いた。


「そのタイピングの癖、そして物理法則を書き換える不敵な面構え。間違いねえ、あの男の血が流れてやがる。約束だ、これをやるよ」


ジョーはプレス機の奥に隠された頑丈なハッチを開け、厳重に保管されていた小さな電子デバイスを取り出した。金色のグリッドラインが走る、未破損の「廃棄ロボットの演算チップ」だ。


「これがお前の求めていたチップだ。これを使えば、デッカーの並列演算スレッドを拡張できる。だが、気をつけろよ……」


ジョーはチップを俺の手に握らせると、表情を強張らせた。その時、地面に倒れ伏し、口から血を流していたキメラ一派のリーダーが、狂気的な薄笑いを浮かべながら喘ぎ声を上げた。


「ケケッ……、勝ったつもり、かよ……。俺たちは、ただの、先遣隊だ……。俺たちのボス、キメラ(毒島)様は……看守長鬼塚と繋がってやがる……」


男は血の混じった唾を吐き捨て、俺を呪うように睨みつけた。


「お前らが探している、最下層の全電力を管理するジェネレーター・コアへの『アクセスコード』……。それは、キメラ様が持つドングルの中に隠されている……。手に入れたければ、アリーナへ来い……。看守長公認の闘技場で、お前らをバラバラに解体してやるってよ……!」


男はそう言い残すと、意識を失った。


「アリーナ……闘技場か」


俺は手の中にある冷たい演算チップを見つめ、静かに指を握りしめた。最下層の全電力を奪うための鍵が、看守長と繋がる王者の手にある。避けては通れない、次なる死地への招待状だった。非常警報の赤い光が、俺たちの影を錆びついたジャンクヤードの奥深くへと、長く、不気味に引き伸ばしていた。

HẾT CHƯƠNG

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