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スラムの掟と重力使い

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地響きが、オフライン・ロフトの錆びついた鉄板を激しく震わせた。天井の隙間からパラパラとコンクリートの粉塵が舞い落ち、玄葉の古いモニターの青白い光が激しくブレる。完全な「オフライン」の聖域であるはずのこの場所に、暴力的な電磁波のノイズが容赦なく侵入していた。


「ちっ、始まったか」


玄葉は車椅子の肘掛けを叩き、電子タバコを深く吸い込んだ。その先端が、不機嫌そうに濃い青色に明滅する。


「玄葉さん、この振動は……?」


海藤魁人は、ズキズキと脈打つ右手をかばいながら立ち上がった。前話での高圧バルブのハック失敗による蒸気熱傷は、応急処置の包帯で巻かれているものの、指先を動かすたびに焼けるような激痛が走る。左腕の簡易ハック端末「デッカー」の画面には、冷酷な警告が灯ったままだ。


『バッテリー残量:35%。シングルスレッド制限。右手の負傷により入力遅延:15%』


「看守どもの『電力強制徴収』だ」

玄葉は吐き出した紫煙の向こうから、潰れたサイバーアイを細めて壁の向こうを指し示した。「このロフトの真上にある非公式居住区――『スラム・グリッド』さ。看守長鬼塚の治安部隊が、囚人どもの左腕の拘束具から『ボルト(電力)』を力任せに吸い上げてやがる。お前が求めているデッカーの充電リソースは、今まさにそこで強奪されている最中だ」


「スラム・グリッド……」

カイトはデッカーのホログラムキーボードを見つめた。残量35%では、次の階層へ進むためのセキュリティハックなど到底不可能。ここで指をくわえて電力を吸い尽くされるのを見過ごせば、脱獄の機会は永遠に失われる。


「行くしか、ないな」

「フン、その大火傷の右手でタイピングができるならな」

玄葉は鼻で笑ったが、その瞳にはカイトの不屈の意志を試すような光があった。「ロフトの奥に、スラムの排気口へ直結する幅五十センチのダクトがある。そこを通れば、ウォーデンの監視カメラを迂回してスラムのドブ底へ出られる。……死にたくなければ、さっき教えた等価交換の『アース(放電)』を忘れるなよ」


カイトは無言で頷き、ダクトの暗闇へと這い進んだ。焼けるように痛む右手を引きずり、狭い金属の筒を這う。ダクトの先から、機械の駆動音と、絶望に満ちた囚人たちの悲鳴が響いてきた。


ダクトの格子からスラム・グリッドを見下ろした瞬間、カイトはその退廃的な光景に息を呑んだ。錆びついた鉄板と廃棄されたコンテナが不規則に積み重なり、ネオンの光が泥水に反射している。スラムの中央では、黒い防護服に赤い単眼バイザーを装着した鬼塚直属の治安部隊員が、囚人たちを地面に組み伏せていた。


「頼む、これ以上ボルトを抜かれたら、俺の拘束具の生命維持装置が止まっちまう……!」

「うるさい、害虫め。管理機関SECTに逆らったエラー(バグ)には、一ボルトの価値もない」


警備兵は冷酷に言い放ち、囚人の左腕に強制充電端子を突き刺した。バチバチと青い火花が散り、囚人のボルトが治安部隊の重容量バッテリーパックへと吸い上げられていく。


その時、スラムの影から、地鳴りのような足音が響いた。


「おい、薄汚い犬ども。俺のシマで勝手に電力を徴収してんじゃねえよ」


現れたのは、身長百九十センチを超える巨漢だった。上半身は裸で、鋼のように鍛え上げられた肉体には重力制御実験の生々しい傷跡が刻まれている。囚人服のズボンを無造作に履いた男――竜崎豪(リュウザキ)だ。


「チッ、重力バグの『リュウザキ』か! 包囲しろ!」

警備兵たちが一斉に電磁警棒を構え、リュウザキを取り囲む。しかし、リュウザキは不敵な笑みを浮かべた。


「重てえパンチを喰らいたい奴から前に出な!」


リュウザキが地面を踏みしめた瞬間、彼の周囲の空気が歪んだ。重力操作バグ。彼は自身の肉体の質量と重力ベクトルを局所的にコントロールしているのだ。超跳躍で距離を詰めたリュウザキが、自身の質量を数倍に増幅させた拳――「重力パンチ」を突き出す。風を切り裂くような一撃が、先頭の警備兵の胸甲を直撃し、金属の軋む音と共に吹き飛ばした。


だが、治安部隊もプロの軍人だ。即座に陣形を立て直し、二人がかりで電磁ネット射出器を構えた。網の目から強力な電磁パルスを放つネットが、空中を切り裂いてリュウザキへと放たれる。


(まずい、あのネットを喰らえば、重力バグの生体電流がショートする!)

ダクトの陰から戦況を分析していたカイトは、即座に左腕のデッカーを起動した。右目の奥に青いグリッドが走り、ネット射出器の論理構造をスキャンする。


『対象:電磁ネット射出器(Launcher_01)。セキュリティ:一般ユーザー権限(User Privilege)』


(くそ、今の俺の『ゲストアクセス』じゃ、武器のシステムを直接書き換えて止めることはできない!)


デッカーの画面に『アクセス拒否』の赤いノイズが走る。右手の火傷の激痛が脳を揺さぶり、タイピングが狂いそうになる。しかし、カイトの脳細胞は窮地において冷徹に冴え渡った。


(直接武器をハックできないなら……環境を書き換える!)


カイトは視点を警備兵の足元、泥水に濡れたスチールプレートの床へと移した。これならゲスト権限でも干渉可能だ。等価交換の法則を頭に叩き込む。床の摩擦を奪うなら、その失われる結合エネルギーの「アース(放電先)」を定義しなければ、またコードバーストが起きる。カイトは、床から数メートル離れた山積みの鉄屑を放電先としてコード内に記述した。


痛む右手の指先で、ホログラムキーボードに構文を正確にタイピングする。遅延を脳内演算で補正しながら、Enterキーを強く叩いた。


`Set_Friction(Floor_Grid_03, 0.0);`

`Force_Discharge(Floor_Grid_03, Target_Scrap_Pile);`


『コンパイル成功。コマンド実行:Set_Friction。バッテリー残量:35% -> 23%』


ハックの残響ノイズがカイトの左腕を走り、微弱な電磁ショックが脳を刺激する。だが、等価交換の補正パッチは完璧に動作した。余剰熱エネルギーは青いスパークとなって、離れた鉄屑の山へと安全にアースされた。


直後、リュウザキを包囲して突撃しようとした警備兵二人の足元――スチールプレートの摩擦係数が、一瞬にして「完全なゼロ」へと書き換わった。鏡のように滑らかに輝く床の上で、重装甲の警備兵たちは踏ん張りが効かず、勢い余って滑稽に滑り転倒した。電磁ネットの射線が大きく上空へと逸れ、虚しく天井の配管に絡みつく。


「あ、ありえん! 床の摩擦が――」


「隙だらけだぜ、看守の犬どもが!」


何が起きたか理解していないリュウザキだったが、目の前の好機を見逃すほど愚かではなかった。彼は自身の重力を一気に高め、質量を増幅させた拳を、転倒して無防備になった警備兵たちの胸甲へと叩き込んだ。すさまじい衝撃波がスラムの泥水を跳ね上げ、警備兵たちは完全に沈黙した。


「ふぅ……。おい、大丈夫か?」

リュウザキは息を整え、倒れていた囚人を助け起こした。囚人は何度も頭を下げながら、暗闇へと逃げていく。


残された警備兵の重容量バッテリーパックを見つめ、カイトはダクトから静かに這い出た。その時、デッカーの青い発光ラインが、暗闇の中でかすかに光を放つ。


ガサリ、と瓦礫を踏む音が響いた。


「誰だ、そこにいるのは」


リュウザキが鋭い眼光で、カイトが潜んでいた影を睨みつけた。彼の巨体から放たれる重圧が、スラムの冷たい空気を震わせる。カイトの頭脳的アシストによって看守を撃退したものの、このスラムの掟において、正体不明のハッカーは決して歓迎される存在ではなかった。二人の強者が、ネオンの明滅する暗闇の中で初めて真っ向から交錯した。

HẾT CHƯƠNG

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