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配線工の同盟

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鼓膜を執拗に震わせる高周波の唸りと、鼻腔を焼き切るようなオゾンの悪臭。目の前に広がる高圧電磁回廊「ライトニング・ラン」は、およそ生命の存在を許さぬ絶対的な死の領域だった。


 幅二メートルの狭隘な直線通路。その床と天井の隙間を、数百万ボルトの青白い電磁アークがのたうつ蛇のように狂暴に駆け巡っている。一歩でも踏み込めば、肉体はおろか骨の髄まで一瞬で炭化し、排気システムによって灰すら残さず排出されるだろう。


「……ハ、ハァ、ハァ……。パノプティコンの視覚が復旧するまで、あと、三分もない……。ハウンドの群れが、後ろから、来るぞ……!」


 レイが光学迷彩マントの陰で、過呼吸気味の掠れた声を漏らした。カイトは左腕のデッカーを見つめ、冷徹に現在のステータスを網膜上に投影する。


『警告:デッカー・バッテリー残量:25%。メモリオーバーフロー:53%。左腕の神経伝達速度:15%低下継続中』


 右目の視界には、過負荷による色覚喪失のノイズが砂嵐のように這い回っていた。並列ハックの代償は重い。だが、ここで立ち止まることは死を意味する。


「リュウザキ、下がって。君の重力パンチでも、この純粋なエネルギーの奔流はねじ曲げられない」


「チッ……。俺の拳が通じねえのは癪だが、この電気の嵐に突っ込むほど俺は無謀じゃねえよ。ハッカー小僧、何か手はあるのか?」


 リュウザキがバイナリ・エッジの残骸を握り締めながら、悔しげに低く呻いた。カイトは静かに首を振り、回廊の脇にある、高圧ケーブルが複雑に入り乱れたジャンクションボックスへと歩み寄った。


「物理的な力では突破できない。なら、システムの『ルール』を書き換える。――サン、ロク。君たちの力が必要だ」


 カイトが呼びかけた先、スクラップの影から、二人の囚人が怯えながら姿を現した。


 一人は、煤汚れたタクティカルジャケットを着た、指先が真っ黒な青年――サン。彼は監獄の過酷な肉体労働を強いられる下請け集団「システム保守班『レイバーズ』」の配線工だった。もう一人は、頭部に奇妙な自作ゴーグルを装着した、ネズミのように小柄な少年――ロク。罠やセンサーを見極める専門家だ。


「お、俺たちに何をやらせる気だ、カイト……!」


 サンが太い絶縁ペンチを握り締め、震える声で言った。


「レイバーズの仕事は、看守の命令通りにケーブルを繋ぐことだけだ。こんな狂った高圧回廊の配線に触ったら、一瞬で消し炭だぞ!」


「普通に触ればそうなる。だが、この回廊の制御シールドには設計上のバグがあるんだ」


 カイトはデッカーを操作し、青いホログラムの配線図を空中に展開した。指先が強張る。左腕の神経麻痺のせいで、キー入力を受け付けるコンパイルラインの動きが微かに遅い。しかし、カイトは無駄なキーストロークを極限まで省いた構文を、サンの前に提示した。


「ここを見てくれ。ライトニング・ランの電磁アークを制御するメインシステムは、一秒間に〇・一ミリ秒だけ、同期のラグが発生する。これは、この監獄の初期設計時に僕の両親が意図的に残した物理的なバックドアだ」


「同期ラグ……? 一秒に、〇・一ミリ秒……?」


 サンの目の色が変わった。配線図を見るのが何よりも好きな彼の職人気質が、カイトの提示した論理的な脆弱性に激しく揺さぶられている。


「サンの『ケーブル・ハック』の技術があれば、その同期ラグの瞬間に合わせて、高圧メインケーブルの物理的な接続を一時的にバイパス(迂回)できるはずだ。そうすれば、回廊の電流は一時的に減衰する」


「冗談だろ……! コンマ数ミリ秒のタイミングを合わせろって言うのか? そんなの、肉眼じゃ見えねえ!」


「僕が見せる。ロクの『センサー・アイ』で不可視の電流センサーを特定し、僕のデッカーで同期ラグのタイミングを君のペンチに直接、光のシグナルとして投影する。……やるか、サン。レイバーズとして看守に使い潰されて死ぬか、ここで僕たちと同盟を結んで、本物の配線工としてシステムに反逆するか」


 カイトの冷徹だが、確信に満ちた瞳がサンを射抜いた。サンは唾を飲み込み、黒く汚れた手のひらでペンチを強く握り直した。


「……クソっ。ソウヘイの息子のハックだ、乗ってやるよ! ロク、お前の『目』が頼りだぞ!」


「う、うん! 僕、頑張るよ、アニキ!」


 ロクが自作ゴーグルを叩くと、彼の瞳が微かに青く発光した。ロクのバグ能力「センサー・アイ」が起動する。彼はジャンクションボックスの内部を透視し、高電圧が流れる極細のセンサーグリッドを肉眼で捉えた。


「サン、ジャンクションの右奥、三センチ。そこに見えない微小電流の感知線がある! 触っちゃダメだ!」


「分かった、そこを避けてメインの絶縁カバーを剥ぐ!」


 サンの指先が動いた。煤とオイルで黒ずんだ彼の指は、驚くほど精密で、無駄のない動きを見せた。太いペンチが、高圧のプラズマを帯びた銅線の束へと、迷いなく差し込まれる。


 カイトはデッカーのホログラムキーボードを叩き、同期シグナルをサンのペンチの先端へと投影し始めた。左腕の麻痺による十五パーセントの遅延が、カイトの焦りを誘う。指先が僅かに震えるたびに、投影される青い光のラインがブレそうになる。カイトは歯を食いしばり、脳内の演算リソースを極限まで集中させた。


(まだだ、まだコンパイルを切らすな……!)


 その時だった。通路の奥、コンクリートの壁を激しく引っ掻く、不快な金属音が響き渡った。ズン、と重い着地音がジャンクションボックスを揺らす。


「キィィィィン――!!」


 赤いレーザーアイを不気味に明滅させ、四足歩行の金属獣が闇から踊り出た。AI『ウォーデン』が解き放った自律型重駆逐ドローン「ハウンド(HOUND)」だ。その前脚には、コンクリートを一瞬で切り裂く高出力のレーザー爪が青白く輝いていた。


「ハウンドだと!? このクソ忙しい時に!」


 リュウザキが前に出ようとするが、カイトは叫んだ。


「リュウザキ、下がって! 奴の装甲は極厚だ、物理攻撃は通用しない!」


 ハウンドは赤い単眼をサンの背中にロックオンし、レーザー爪を振り上げて突進してきた。その速度は時速六十キロを超える。サンの精密な配線作業が遮断されれば、すべてが水の泡だ。


「カイト! 奴のレーザー爪の根元! 電磁グリッドとの接続点に、物理的なコードの脆弱性があるよ!」


 ロクがゴーグルの奥の目を剥き出しにして叫んだ。センサー・アイが、ハウンドの武器システムと本体の動力源を繋ぐ、わずかな「バグ(不具合)」を捉えていた。


 カイトのデッカーのバッテリーは、すでに残り少ない。直接のオーバーライドを仕掛ける電力は残されていなかった。


「サン、君の『バグ・ボード』を貸してくれ!」


「これか! 持ってけ!」


 サンがポケットから、エラー信号を意図的に増幅させるように配線された、囚人手作りの改造電子基盤「バグ・ボード」を投げよこした。カイトはそれを左腕のデッカーの拡張スロットに直接叩き込んだ。バグ・ボードの半田付けされた論理回路が、カイトのデッカーのハック信号と物理的に同期する。


「ハック信号増幅。コマンド、物性破壊『Code_Deconstruct』、コンパイル開始!」


`Deconstruct_Structure(HOUND_04_Laser_Claw_Node);`


 カイトの指先が、ホログラムキーボードの上を光速で舞った。左腕の麻痺のせいで、一瞬、バックスペースキーを叩くコンマ数秒のタイムラグが発生する。ハウンドのレーザー爪が、サンの首元まであと数センチに迫っていた。


(間に合え……!)


 カイトは右手の火傷の激痛を無視し、全力で「Enter」キーを叩き込んだ。


 バチバチバチィィィン!!!


 カイトの左腕から放たれた青いノイズの糸が、バグ・ボードを媒介にして激しく増幅され、ハウンドの右前脚の接続ノードへと直撃した。ハウンドのレーザー爪の金属結合コードが、一瞬にして論理的な矛盾を引き起こし、赤色のエラー文字が空中へと霧散する。


 次の瞬間、ハウンドの鋭いレーザー爪は、まるで乾燥した粘土のように、分子レベルでサラサラと灰色の砂となって崩壊した。ハウンドは最大の武器を失い、バランスを崩してジャンクヤードのコンクリート床へと激しく転倒した。その赤い単眼が、激しい電磁スパークを散らしながら機能停止していく。


「あ、熱っ……!」


 サンのバグ・ボードが過電流によって激しく発火し、カイトの指先に軽微な火傷を追加した。だが、カイトは顔色一つ変えず、デッカーの画面を睨み続けた。


「サン、最後の配線だ!」


「おう、これで……終わりだぁ!」


 サンが太い絶縁ペンチを渾身の力で握り締め、最後の高圧バイパスケーブルをジャンクションの深部へとパチンと接続した。


 その瞬間、ライトニング・ランを埋め尽くしていた数百万ボルトの青白い電磁アークが、一斉に激しく明滅し、そして――嘘のようにその光を失い、細い微弱な火花へと減衰した。通路を支配していた重低音の唸りが、静かなハミング音へと変化していく。


「やった……! 電流が止まったぞ!」


 囚人たちから歓声が上がった。しかし、カイトのデッカーには、容赦のない赤い警告テキストが無慈悲にスクロールしていた。


『警告:ライトニング・ランの自動復旧プログラムが起動。エリアの再帯電(数百万ボルト)まで、残り180秒』


「喜ぶのは早い」


 カイトは減衰した通路を見据え、冷徹な声で告げた。


「自動復旧まで、あと三分。走るぞ」

HẾT CHƯƠNG

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