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14番線の静寂、バグる世界

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新宿駅、14番線ホーム。いつもと変わらない、吐き気がするほどの人の群れ。スマートフォンの画面を指先でスクロールしながら、海藤魁人は無意識にため息を漏らしていた。周囲の人間にとって、彼は「いつもスマホばかりいじっている地味な高校生」に過ぎない。しかし、魁人の目に映る世界は、数日前から決定的な変容を遂げていた。


「また、ノイズか……」


液晶画面の隅、現実世界の物質の輪郭が、時折奇妙にブレる。まるで古いモニターのドットが欠けるように、アスファルトの隙間から、緑色の二進数のコードがかすかに滲み出ていた。世界の物理法則を規定する「コード」がエラーログとなって流れる――そんな狂った現実を視認できるのは、東京広しと言えども魁人だけだった。


その時、耳を刺すような高周波の電子音が脳内を駆け抜けた。


ツ、ツツ――ピ、ピピピピピピ……!


魁人は思わず耳を押さえた。周囲を見渡すが、誰もその音に気づいていない。それどころか、異変は音だけに留まらなかった。不意に、新宿駅の喧騒が嘘のように掻き消えたのだ。電車の制動音、乗客の話し声、靴の音。すべての「音」がミュートされたように消滅し、14番線ホームに立つ人々の動きが、まるで映像を一時停止したかのようにピタリと凝固した。


空中で静止した吸い殻。一歩を踏み出した姿勢のまま固まったサラリーマン。彼らの頭上には、薄暗い文字で『Guest_User』というタグが浮かび上がっている。世界のバグを視認できず、ただ物理法則に流されるだけの存在――ゲストユーザーたちだ。


「おい、嘘だろ……」


静寂の極限の中、トンネルの奥から異常な光を放つ車両が滑り込んできた。山手線内回り。だが、その車体は激しく歪み、緑色のラインはネオンのように不気味に明滅している。車体の周囲には、空間のレンダリングが追いついていないかのように、白いグリッド線が剥き出しになっていた。


プシュー、とノイズ混じりの音を立ててドアが開く。魁人は何かに引き寄せられるように、そのバグだらけの車両へと足を踏み入れた。乗客たちは車内でも凍りついたように静止している。


そして、魁人が乗り込んだ瞬間、ドアが乱暴に閉まった。


直後、鼓膜を突き破るような爆音が轟き、世界が激しく傾いた。胃袋が引きちぎられるような凄まじい重力加速度。時速50キロ、100キロ、200キロ――ブレーキを引きちぎられた山手線は、物理限界を無視して、突如として時速300キロまで異常加速を開始したのだ。


「くっ……!」


車内を暴風のような慣性エネルギーが吹き荒れる。魁人は座席のポールにしがみついたが、重力のバランスが完全に崩壊し、身体が浮き上がりそうになる。静止していたはずのゲストユーザーたちが、人形のように車内を転がり、壁に激突していく。彼らの顔は、エラーを起こしたテクスチャのようにモザイク状にブレていた。山手線全体が、現実から切り離された『バグ領域』へと変貌していた。


魁人は必死に運転席へ向かおうと、這うようにして通路を進んだ。壁に設置された非常用ブレーキハンドルが目に留まる。魁人は手を伸ばし、それを力任せに引いた。


しかし、手応えはない。ハンドルは火花を散らし、赤く脈打つ幾何学的なデジタルロックが浮かび上がった。


『Access Denied: Locked by Node Administrator』


「システムがロックされてる……! 物理的なブレーキじゃ止められないのか!?」


その時、魁人の左腕が焼けるように熱くなった。制服の袖の下、手首に巻かれたリストバンド型のデバイスが、魁人の脳波と同期して青い光を放ち始める。亡き母親・海藤紗良が遺したプロトタイプデバイス、ホログラフィック・ターミナル「H-01」だ。


空中に、鮮やかな青いホログラフィックキーボードとシステムウィンドウが強制投影された。同時に、魁人の瞳が青く染まる。視界のすべてが二進数とソースコードの奔流へと切り替わった。覚醒した「エラー・アイ」が、車内のあらゆる物質の構成コードをスキャンしていく。


『System: Developer_Port_Synced (Authority: Junior_Debugger)』


魁人の脳に直接、開発者用のバックドアが同期したログが流れ込む。世界のコードを視認し、キーボード入力によって現実を書き換える能力。だが、今の魁人には、その巨大な力を制御する自信などなかった。


その瞬間、車内が悲鳴のような金属音を立てて軋んだ。時速300キロの慣性と空間の歪みに耐えかね、天井の太いスチール製手すりが根元から引きちぎられたのだ。鋭利な凶器と化した鉄パイプが、空間のねじれに沿って、弾丸のような速度で車内を飛び交う。


その軌道の先には、一人の少女がいた。都立中学のセーラー服を着た少女――水瀬陽菜。彼女は他のゲストユーザーとは違い、恐怖に目を見開き、迫り来る鉄パイプを凝視していた。彼女の瞳には、世界のバグが「色」として映っているのだ。


「逃げろ!」


魁人の叫びは風圧にかき消される。陽菜は恐怖で腰を抜かし、動くことができない。鉄パイプが彼女の眉間を貫くまでに、残り1秒もない。


(考えろ、僕の力で、あれを止めるんだ!)


魁人の脳細胞が超高速で演算を開始する。焦るな。スペルミスは許されない。一文字でも間違えれば、コードは暴発し、自分自身が消去される。脳内に『シンタックス・チェック・ルール』の冷徹な警告が響く中、魁人の指先がホログラムキーボードの上を神速で滑った。


`Vector.Set(Target=Handrail_04, Velocity=0, Direction=Null)`


入力完了。魁人は祈るように「Enter」キーを叩き切った。


カチャリ、と脳内で論理が噛み合う音がした。


刹那、陽菜の目の前わずか数センチメートルの空間で、超高速で飛来していた鉄パイプがピタリと完全静止した。運動エネルギーのベクトルを「ゼロ」に上書きされたパイプは、慣性の法則を完全に無視して、カランと力なく床に転がった。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


魁人は激しい知恵熱に襲われ、鼻から一筋の血を流しながらその場に膝をついた。脳細胞への強烈な熱負荷(オーバーヒート)。だが、確かに救った。


陽菜は怯えた瞳を魁人に向け、震える声で呟いた。


「あなた……魔法使い、なの……?」


「いや……ただのデバッガーだよ」


魁人は鼻血を拭い、立ち上がろうとした。しかし、安堵の時間は与えられなかった。山手線が再び激しく振動し、車両全体が軋み声を上げる。


ゴゴゴゴゴゴ……!


不気味な重低音が車内に響き渡る。魁人が目を見開いて前方を見据えると、11号車と10号車の連結部が、ぐにゃりと空間ごとねじれ始めていた。剥がれ落ちたポリゴンの隙間から、青黒い二進数の光が螺旋状に渦巻いている。


そして、その光の深淵から、車内の運動エネルギーを貪り喰らうように、ドロドロとしたデジタルノイズを纏った巨大な怪物の影が、不気味な咆哮を上げながら這い出してきた。

HẾT CHƯƠNG

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