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裏切りのキーコード

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「デリート完了まで、残り五秒」


 漆黒のサイボーグ、スイーパー・アルファのバイザーに走る赤いスリット光が、冷酷なカウントダウンを刻む。そのスマート・アサルトライフルの銃口から放たれる青白いプラズマが、夜の宮下公園を白熱の地獄へと変えようとしていた。


 東条蓮は瓦礫の中に倒れ、自慢の防盾だったフロントバンパーは熱融解を起こして完全大破している。白石澪はすくみ上がる足で、それでも魁人の背中を支えようと必死に彼に寄り添っていた。


 魁人の右目は、限界を超えた脳波同調によるバイナリノイズで半ば塞がれている。こめかみを伝う一筋の鼻血が、透過型タブレットの画面にポツリと滴り落ちた。


(敵本体のシステムは『イージス・ガード』の電磁シールドで完全に保護されている。デジタルなハッキングが届かないなら――この『物理環境』そのものをハックして、現実の質量で押し潰す!)


 魁人の指先が、空中に展開された青い仮想キーボードの上を狂ったように走り始めた。ターゲットは上空十五メートル、再開発工事用のタワークレーンに吊るされた十五トンの巨大な鉄骨『Steel_Beam_SBY_07』だ。


『import Gravity_Lib;』

『Set_Passable(target=Steel_Beam_SBY_07, passable=True);』


 タタタタタタタン!


 エンターキーを叩き込んだ瞬間、魁人の透過端末が激しく明滅し、コンパイル完了を告げる青いプログレスバーが一瞬で走りきった。


 ガギィィィン!


 クレーンの電磁クランプが論理エラーを起こし、その衝突判定を『False(非実体化)』へと強制書き換えされた。鉄骨を繋ぎ止めていた物理的なロックがすり抜けるように消失し、十五トンの質量が重力に従って自由落下を始める。ワイヤーを引きちぎり、巨大な鉄の塊がスイーパー・アルファの頭上へと真っ直ぐに突き進む。


「何だ……!?」


 無機質だったサイボーグの合成音声に、初めて驚愕のノイズが混ざった。スイーパーは反射的にアサルトライフルを上空へと向け、電磁シールド『イージス・ガード』を最大出力で展開した。青い幾何学模様の障壁が頭上を覆う。


 だが、そのシールドは『デジタルコード』と『エネルギー弾』を反射するための論理防壁だ。落下してくる純粋な物理的質量を消去する機能はない。


 落下の直前、魁人はさらに右手の指を滑らせ、最後のコードを実行した。


『Set_Passable(target=Steel_Beam_SBY_07, passable=False);』


 鉄骨の衝突判定が『True(実体化)』へと瞬時にロールバックされる。完全な『硬質』を取り戻した十五トンの鉄の質量が、スイーパーの電磁障壁を容赦なく押し潰した。


 ズドォォォォォン!!!


 大地を揺らす凄まじい衝撃音が宮下公園に轟き、アスファルトがクモの巣状に弾け飛ぶ。巻き上がったコンクリートの粉塵が視界を白く染めた。スイーパー・アルファの姿は跡形もなく、巨大な鉄骨の下敷きとなって完全に圧殺されていた。イージス・ガードの光が、ガラスが割れるような音を立てて霧散していく。


「は、ハハ……うそだろ……」


 瓦礫の中から顔を上げた東条が、信じられないものを見る目で鉄骨を見つめた。


「あの化け物を……ただの鉄屑で叩き潰しやがった……。やっぱりお前、とんでもねえ『魔法使い』だな……」


「魔法じゃないって、言ったろ……」


 魁人はそう答えた瞬間、激しい立ち眩みに襲われて膝を突いた。脳波測定用ヘッドバンドがピーピーと警告音を鳴らし、視界の端に『Memory_Leak_Warning: 45%』の文字が点滅する。


(クソ……また、何かを忘れた気がする。僕が通っていた小学校の名前は……いや、思い出せない……)


「カイト! しっかりして!」


 澪が魁人の身体を抱き起こし、首元のシルバーペンダントが魁人の鎖骨に触れた。その冷たいアナログな金属の質感が、魁人の過熱した脳波を微かに鎮静化させていく。


「ここもすぐに別の追跡部隊に包囲される。一度、宗一郎さんのところへ引こう。東条、歩けるか?」


「おう、問題ねえ……。肩が少し疼くだけだ」


 東条はボロボロの身体を引きずりながら立ち上がり、三人は闇に紛れて宮下公園を後にした。目指すは、渋谷の地下連絡通路の奥深くに隠された、澁谷宗一郎のジャンクショップ『澁谷電子』だ。


 数十分後、息を切らせて重厚な鋼鉄の扉を潜り抜けた彼らを、澁谷宗一郎がサイバー義眼を赤く光らせて迎えた。宗一郎はすぐに扉をロックし、アクティブ・ジャマーを起動して外部からの電波を完全に遮断する『ファラデー・ケージ』を完成させた。


「スイーパー・アルファを倒しただと? 魁人、お前……環境ハックを実戦で使いやがったのか」


 宗一郎は驚きと、それ以上の深い懸念を瞳に宿した。


「だが、代償が大きすぎる。お前の脳のメモリ領域はすでに限界だ。これ以上の能力行使は、お前自身の存在をシステムに喰い尽くされることになるぞ」


 その会話を、地下拠点の隅で青い顔をして聞いていた男がいた。自警団の末端ハッカー、五味寛治だ。


 五味の指は、恐怖で小刻みに震えていた。


(こんなの、勝てるわけがない……!)


 宮下公園での戦闘報告をダークネットの隠しチャンネルで傍受した瞬間から、彼の細い背中には冷たい汗が流れ続けていた。あの無敵に見えた自警団の防壁が一瞬で消し飛び、クロノス社の戦闘サイボーグ『スイーパーズ』が渋谷を文字通り「掃除」し始めている。


 隣で頭痛に悶えながら、鼻血を拭う海藤魁人の姿を見る。その左手の指先は、時折ピクセル状の青いノイズとなって現実から消えかけていた。


(あいつは化け物だ。あんな例外エラーと一緒にいたら、僕たちまで『不要データ』として一括消去されてしまう)


 五味はよれよれのパーカーのポケットに手を突っ込み、隠し持っていたコピペハック用の安価な端末を握りしめた。画面には、クロノス社監査部門の監査員アインから提示された『安全な脱出許可証』の電子ID形式が、誘惑の光を放って点滅している。


「……ごめん、みんな。僕は、ただ、生きたいだけなんだ」


 彼は薄暗いジャンクパーツの影に身を潜め、震える指先で『澁谷電子』の物理的な座標と、防衛サーバーのIPアドレスを送信フォームにペーストした。送信ボタンを押した瞬間、五味の心臓は激しく跳ね上がった。


 そのわずか数十秒後だった。


 ジジジ、ジジジジジッ――!


 突如として、澁谷電子の天井に設置されたアクティブ・ジャマーのインジケーターが、緑から不気味な赤へと変色した。金属的な異音が室内に響き渡る。


「何だ!? ジャマーの出力が急激に低下している!」


 東条が叫ぶ。宗一郎が即座にメインコンソールへ飛びつき、キーボードを叩いた。


「バカな……外部から高出力のバースト信号が、このファラデー・ケージの周波数をピンポイントで狙い撃ちしてやがる! シールドが物理的に焼き切られるぞ!」


 バチバチバチッ!


 激しい火花が天井の配線から噴き出し、店内の照明が一斉に消灯した。予備の非常灯が赤く点滅し、重厚なサーバーラック群が過負荷による熱暴走を起こして、白い煙を上げ始める。


「防衛壁を再起動する! ……くそ、ダメだ! 内部から認証キーが書き換えられていて、アクセスを拒否される!」


 宗一郎の叫び声が響く中、魁人は右目の『Code_Vision』で室内のデータフローを追った。青い光のラインが、部屋の隅に立ち尽くす五味寛治の端末へと繋がっているのが見えた。


「五味……お前、まさか……」


 魁人の言葉に、全員の視線が五味へと集中した。五味は持っていた端末を床に落とし、へなへなと崩れ落ちた。


「ち、違うんだ! 僕はただ、安全な脱出IDが欲しかっただけで……! ここにいたら全員デリートされるんだよ!」


「この野郎……裏切りやがったな!」


 東条が激昂して五味の胸ぐらをつかみ上げるが、それを咎める時間すら、システムは与えてくれなかった。


 ズシン、ズシン、ズシン――。


 扉の向こう、コンクリートの地下連絡通路から、重厚な軍用ブーツが立てる規則正しい足音が響いてきた。それは一人のものではない。統制された、複数の、死を運ぶ足音だ。


「チッ、もう来やがったか……!」


 宗一郎は五味を無視し、魁人の肩を強く掴んで、床に設置された錆びついたマンホールのハッチを指し示した。


「魁人、澪を連れてここから逃げろ。退路は地下水道しかない。この店は完全に包囲された」


「でも、宗一郎さんはどうするんだよ!?」


「俺は元クロノス社の開発部長だ。あいつらも、俺をすぐにデリートするような真似はせん。それよりお前は、この端末を守り抜け。これが、宗一が遺した本当の遺産だ」


 宗一郎は自身のサイバー義眼の接続端子から一本の物理メモリードングルを抜き取り、魁人の透過タブレットへと乱暴に差し込んだ。


「行け! 振り返るな!」


 背後の重厚な鋼鉄扉が、熱融解の青い光で歪み始める。通路の奥から聞こえる、複数の重厚な軍用ブーツの足音。退路は地下水道しかない。

HẾT CHƯƠNG

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