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宮下公園の攻防、ダスト・スウォーム

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「走れ! ぐずぐずしてると、あの鉄の犬どもが目を覚ますぞ!」


 蓮見迅の鋭い声が、宇田川町の薄暗い配管路に響き渡った。自爆ドローン『ピクセル』が放った強烈な電磁パルスの残光が、湿ったコンクリートの壁に青白い影を落としている。シャットダウンされた電脳猟犬『ケルベロス・コード』の機能停止時間は、残りわずか数秒。それが過ぎれば、再びあの生体脳波を追跡する牙が魁人たちを噛みちぎりに来る。


「ハァ、ハァ……魔法使い、足元に気をつけろよ!」


 東条蓮が息を切らしながら、魁人の背中を押した。彼の右腕の切り傷からは未だに血が滲み、かつてドローンの装甲を粉砕した『電磁タクティカルバット』は、コーティングを完全に剥ぎ取られてただの鉄パイプと化していた。耐久値は限界。物理的な盾としての機能はほぼ消失している。


「カイト、あそこの非常階段から地上に出られるわ。急いで!」


 澪が手元のアナログマップを指差しながら叫ぶ。彼女の手が魁人のパーカーの袖を掴んだ。その瞬間、彼女の首元で揺れる銀のペンダントが、魁人の左肩に物理的に触れる。その冷ややかなアナログの質感が、ハッキングの過熱によって沸騰しかけていた魁人の脳波を、奇跡的に沈静化させていく。右目の奥を焼き焦がすような激痛がわずかに和らぎ、視界を覆っていた赤い警告ウィンドウの奥に、本来の階段のノイズが透けて見えた。


 魁人は首にずらしていたヘッドホン『サイレンサー』の片耳をさらにずらし、迅の指示に耳を傾けた。


「迅、地上は安全なのか?」


「安全な場所なんてこの渋谷のどこにもねえよ! だが、自警団のシェルターがある宮下公園なら、防壁がある。あそこまで逃げ込めば、僕のドローン網で迎撃準備が整えられる!」


 四人は錆びついた鉄製の非常階段を駆け上がり、重い防火扉をこじ開けて地上へと飛び出した。


 そこは、かつて若者たちで賑わっていた宮下公園の空中庭園――現在は、渋谷自警団が管理する民間人保護区『宮下公園・仮設シェルター』となっていた。周囲は瓦礫やコンクリート片、放棄された自動運転車の外装を組み合わせた即席のバリケードで囲まれ、数百人の避難民が寒さに震えながら身を寄せ合っている。


「東条! 無事だったか!」


 バリケードの指揮を執っていた元自衛官の阿部鉄平が、東条の姿を見て駆け寄ってきた。だが、再会を喜ぶ余白は、システムによって無慈悲に奪い去られた。


 ウィィィィィン――。


 周囲の商業ビルや階段の下から、不気味な高周波のモーター音が重なり合って響き始めた。それは一機の音ではない。数十、いや、数百の金属が擦れ合うような異常な駆動音だ。


「何だ……この音は?」


 避難民の誰かが悲鳴を上げた。バリケードの隙間から這い出してきたのは、本来なら都市の美観を保つはずの、円盤型の自律清掃ロボットたちだった。しかし、その白いプラスチックの筐体には不気味な赤いノイズが走り、底部の吸引口からは、ゴミを粉砕するための鋭い回転ブレードが異常な速度で露出している。自律型清掃ロボット軍『ダスト・スウォーム』。


 イージス・グリッドのクリーンアップ論理が暴走し、このエリア内の生体――すなわち「人間」を、排除すべき「不要ゴミ」として再定義したのだ。


「ブレードを回転させてやがる! バリケードを死守しろ!」


 阿部が叫び、自警団のメンバーが鉄パイプや木板で防衛線を固める。しかし、数百台のダスト・スウォームは数の暴力そのものだった。バリケードの隙間に潜り込み、回転する金属刃で木製の防壁を瞬時に削り粉へと変えていく。木片が飛び散り、避難民の悲鳴が夜の公園に木霊した。


「どけえッ!」


 東条がボロボロの鉄パイプバットを振り下ろし、最前列のロボットを一機叩き潰した。だが、二機、三機と群がるロボットの刃の回転数は異常上昇しており、東条が次の打撃を繰り出した瞬間、激しい金属音と共にバットが手元から弾き飛ばされた。手のひらから血を流し、東条が背後に転倒する。


「東条!」


「くそっ、刃の回転トルクが強すぎる! 俺のバットじゃ弾かれる!」


 バリケードの半分が物理的に破壊され、漏れ出たロボットの刃が避難民の脚をかすめ、鮮血が舞った。このままでは数分以内にシェルターは完全に蹂躙され、数万人の民間人が「ゴミ」として圧殺される。


 魁人は透過タブレット『イージス・ターミナル』を構えた。右目の視界に映る『コード・ビジョン』が、迫り来るロボットたちの耐久値(HP)や質量を青いグリッドラインでレンダリングしていく。だが、数があまりにも多すぎる。


(個別にハックして『Force_Quit』を実行するのは効率が悪すぎる。そんなことをすれば、コンパイルディレイの三十秒の間に僕の脳(CPU)がオーバーヒートして焼き切れる……!)


 魁人の現在の『メモリリーク率』は四五%。これ以上の無理な演算は、自己喪失の奈落へと直結していた。


「大将、これを使え!」


 迅が改造コントローラーを叩くと、上空を飛行していた偵察ドローン『ピクセル』から、魁人の端末へリアルタイムの空間スキャンデータが送信された。


「ボトルネックはあそこだ! バリケードの決壊したスロープに、ロボットの群れが密集して一列になってる! 座標データ、送ったぞ!」


 魁人のイージス・ターミナルに、正確な空間座標ベクトルがプロットされた。密集地帯のボトルネック。そこをピンポイントで叩けば、一網打尽にできる。


「……それなら、トラップコードを仕掛ける」


 魁人は左手の指先が微細にピクセル化していく恐怖を抑え込み、右手でホログラムキーボードを叩き始めた。彼が選択した関数は、実行処理を一時的にシステムバッファに保留するコマンド『Delay_Compile』。これを、指定空間の重力定数を極大化する『Gravity_Set』と組み合わせる。


『#import Gravity_Lib;』

『Delay_Compile(Gravity_Set(coordinates=[X:134.2, Y:-22.8, Z:12.4], range=4m, G_value=10.0), timer=5s);』


 一文字のシンタックスエラーも許されない。極限のブラインドタイピングが、夜空に青い光の残像を描く。最後のセミコロンを入力し、エンターキーを叩き込んだ。


 スロープの地面に、薄い青色の『Compile_Pending: 5s』という文字がホログラムとして点滅し始めた。それを知らないダスト・スウォームの群れは、金属刃を激しく回転させながら、その座標へと一斉に突入していく。


 カウントダウンが脳内で刻まれる。


 五、四、三、二、一――。


 コンパイル完了。


 瞬間、スロープを中心とした半径四メートルの空間に、凄まじい大気圧の激変が発生した。空間が青いグリッドの歪みに包まれ、局所的な『十倍の重力(10G)』が発動する。


 ドォォォォン!


 重低音の衝撃波が轟き、スロープに侵入した数百台のダスト・スウォームが、まるで巨大なインビジブル・プレスに押し潰されたかのように、一瞬にして地面へと叩きつけられた。十倍に跳ね上がった自重に金属フレームが耐えきれず、プラスチックの筐体はバリバリと音を立ててひしゃげ、内蔵されたリチウムバッテリーが圧壊して青い火花を散らす。スロープ全体が、スクラップの山へと変貌した。


「すげえ……重力が、押し潰した……!」


 東条が唖然としながらその光景を見つめていた。自警団のメンバーも、避難民たちも、言葉を失って魁人の手元で輝く透過タブレットを見つめている。それは彼らにとって、現実を書き換える「魔法」そのものだった。


 しかし、押し潰されたスクラップの隙間から、数台の破損したロボットが未だに刃を回転させながら這いずり出てくる。魁人はすかさず個別のターゲットをロックオンし、消去コードを叩き込んだ。


『Force_Quit(target=Dust_Swarm_Crawler_01);』


 這いずっていたロボットの周囲に「Program Not Responding」というシステムウィンドウが展開され、その身体が青いピクセルとなって完全に消滅していく。最後の一台が光の塵となって消え去ると、宮下公園にようやく静寂が戻った。


 避難民たちの間に、安堵の息漏れが広がる。魁人は端末のバッテリーが残り六〇%まで低下しているのを確認し、こめかみを走る激しい熱を抑えるために、深く息を吐いた。


 だが、その安堵は、一秒と持たなかった。


 ジジ……ジジジジジッ――。


 突如として、宮下公園を取り囲むすべての街頭デジタルサイネージ、自動販売機の液晶、さらには避難民たちのスマートフォンの画面が一斉にジャックされ、激しいグリッドノイズで埋め尽くされた。


 赤く染まったすべてのスクリーンに、青い幾何学模様の光で構成された巨大なホログラムが浮かび上がる。仕立ての良いスーツを着た、白髪交じりの冷酷な紳士。クロノス・テクノロジー社CEOであり、イージス・グリッドの創造主――九条密の幻影だった。


『警告。渋谷エリアにおける例外エラー(海藤魁人)の検出レベルが上限を突破しました』


 九条の幻影は、感情を一切排した冷徹な声で、渋谷の全域に向けて語りかけ始めた。


『不完全な人間はシステムによって管理されるべきです。これ以上のノイズの拡散を防ぐため、当エリアの物理隔離およびクリーンアップシーケンスを次のフェーズへ移行します』


 その冷酷な宣戦布告と同時に、迅の改造コントローラーが、狂ったような警告音を鳴らし始めた。


「大将、マズい! 上空のドローンが、本物の『スイーパーズ』……クロノス社の戦闘サイボーグ部隊が、この宮下公園に向けて強制転送されてくるのを検知した! 囲まれるぞ!」

HẾT CHƯƠNG

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