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マッハ5の死神

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重厚な大気が震え、夜空の雲が青白い光に引き裂かれたその瞬間、マッハ五の死神が頭上から牙を剥いた。


 超音速で飛来する物体は、自らが引き起こす衝撃波の音すら置き去りにする。だからこそ、その「死」は静寂を伴って襲来した。

 エリア零の澱んだ上空、紫色の酸性雨を切り裂いて現れたのは、灼熱のプラズマをまとい、赤橙色に輝く円錐形の光。帝国軍第十七砲兵連隊が放った、二百ミリ口径の電磁徹甲弾だ。その速度はマッハ五――秒速約千七百メートル。衝突の瞬間に解放される運動エネルギーは、ゆうに数百万ジュールに達する。


「――陣、上空から入射角七度! 着弾点、中央給水塔の直下……避難壕『ひだまり荘』の真上よ!」


 千代田暦が絶叫した。彼女の左目に装着された「ラプラス・アイ」が、過負荷によって激しく青い幾何学的な光を明滅させている。すでに彼女の左目の端からは、細い鮮血が酸性雨に混ざって流れ落ちていた。それでも彼女は、網膜に描き出される「青い死線」から目を逸らさない。


「着弾まで、あと四秒……! 弾道データ同期、あなたの脳波に直接送るわ!」


「……わかった」


 陣は、激しくきしむ瓦礫の山の上に立ち、天を見上げた。肺を刺す冷たい金属の臭いと、酸性雨の不快な温もりが肌を打つ。彼の左手首に巻かれた「脈動計」は、呼吸調整法「血流減速・脈拍同調」によって、現在「一一五mmHg」という安全圏の数値を静かに示していた。

 深く吸い、ゆっくりと吐き出す。心臓の鼓動を毎分四十回まで引き下げ、脳へ向かう血流の運動量を極限まで減速させる。首元の錆びた真鍮製「抑制リング」は、源さんが施した強制冷却冷媒のおかげで、今はまだ冷たく静まり返っている。


(脳圧は安定している。だが、飛来する砲弾の質量と速度は、僕の『運動エネルギー許容限界』――百万ジュールの壁に限りなく近い。まともに受け止めれば、脳圧が一瞬で破裂限界を超える)


 陣は右目の焦点を、迫り来るプラズマの光へと合わせた。彼の脳内で、母・恵美が遺した「不変性物理学」の数式が静かに起動する。


(並進対称性の基礎数式――『ノーターの第一定理』。空間が均一である限り、運動量は保存される。ならば、その保存されるべき運動量の『極性』のみを、僕の境界線で反転させる)


 マッハ五の砲弾が、空気分子を圧縮し、超高温のプラズマの壁を作り出しながら降下してくる。その凄まじい風圧(流体ベクトル)が、着弾の数秒前にしてすでに地上を襲い、陣の華奢な体を吹き飛ばそうと吹き荒れた。足元の瓦礫がバラバラと舞い上がり、あまりの風圧に陣の演算が一ミリ秒遅れかける。


「風に抗うな、陣! 体重の慣性を風の流れに同調させて!」


 暦の声が、脳波リンクを通じて直接響いた。陣は即座に思考を切り替え、風圧の「流体ベクトル」を自身の側面に逃がすように体をわずかに傾けた。吹き飛ばされる寸前、彼の肉体は嵐の中で不気味なほど安定を取り戻す。


「着弾まで、あと一秒……! 〇・一二秒後に、あなたの皮膚から一センチの境界線に接触する! ――今よ!!」


 暦のナビゲーションが、ゼロコンマ一ミリ秒の誤差もなく陣の意識と同調した。


「ベクトル・リバーサル(ベクトル反転)――起動!」


 陣の皮膚表面からわずか一センチメートルの空間。そこに、目に見えない物理対称性の「鏡」が展開された。

 直後、マッハ五の電磁徹甲弾が、その境界線に激突した。


 キィィィィィィィィィィィン――!!!


 鼓膜を直接引き裂くような、超高周波の金属摩擦音が世界を支配した。数十キログラムの質量が、秒速千七百メートルで「一センチの空間」に激突し、その運動エネルギーが瞬時に一八〇度反転を強いられたのだ。

 衝突の瞬間、陣の周囲の空気が強烈に圧縮され、目も眩むような青白いプラズマのスパークが球状に弾けた。凄まじい反発風圧が四方に吹き荒れ、スラムの泥水が一瞬で蒸発して白い霧へと変わる。


 どくん、と、陣の心臓が不気味な重低音を立てて脈打った。


 首元の「抑制リング」が、耐えきれない高熱を帯びてジュッと音を立て、陣の皮膚を焼く。脳内の毛細血管が、急激な圧力の上昇に悲鳴を上げた。

 脈動計の液晶画面が、緑から黄色、そして一気に鮮烈な赤へと変色していく。


『警告:脳圧急上昇。一二五……一三五……一四五mmHg。安全限界を突破』


 リングから、ジリジリと耳障りな黄色い警告音が鳴り響く。陣の右目の視野が、内出血によって一瞬にして血の赤さで覆われ、急速に暗転していった。凄まじい偏頭痛がこめかみを貫き、彼の鼻から、温かい鮮血がタラリとぬかるみへ滴り落ちる。


(まだだ……! まだ、反転の演算を解くわけにはいかない……!)


 陣は歯を食いしばり、脳が沸騰するような熱に耐えながら、反転した運動量ベクトルを上空へ向けて完全に固定した。


 次の瞬間、数百万ジュールの運動エネルギーをそのまま宿した電磁徹甲弾は、自らが来た軌道を寸分の狂いもなく「逆行」し始めた。マッハ五の速度を維持したまま、夜空の彼方へと突き抜けていく漆黒の閃光。


 逆行した砲弾は、ガストン大佐の第十七砲兵連隊が放った第二波、第三波の砲弾の群れの中へと真っ直ぐに飛び込んでいった。空中で、マッハ五同士の質量が正面衝突を起こす。


 ドォォォォォォォォォン!!!


 スラムの上空で、夜空を昼間のように照らし出す大爆発が発生した。連鎖する衝撃波が雲を吹き飛ばし、酸性雨の雨粒を一瞬にして霧散させる。帝国軍の自慢の第一波は、自らが放った破壊の力によって、空中で完全に自滅したのだ。


「……はぁ、はぁ、はぁっ……!」


 陣は膝をつき、激しく喘いだ。右目の視野の半分が、暗い赤色に染まったままで戻らない。脈動計は「一四五mmHg」を示して明滅している。脳の限界を、彼は今、初めて踏み越えていた。


「陣……! 大丈夫!?」


 暦が駆け寄り、彼の肩を支える。彼女のモノクルもまた、激しい熱を帯びていた。


 だが、彼らの戦いはまだ終わっていなかった。

 はるか数キロメートル先、高地にそびえ立つ帝国軍の「第十七砲兵連隊・前線陣地」の観測塔。そこでは、スラムの消滅を確認するはずだった観測データが、あり得ない異常数値を示して暴走していた。


 逆行した砲弾の衝撃波の余波が、観測塔の超精密レーダーを直撃し、塔の最上階のガラスが一斉に吹き飛ぶ。


「何だと……!? 砲弾が、逆行しただと……!?」


 司令室のモニターに映る「バグ」のような弾道軌跡を見つめ、ガストン大佐の冷酷な顔が驚愕と怒りで歪んだ。


「スラムに、世界の物理秩序を乱すバグが存在する。……あの『神格計画』の生き残りか。面白い」


 ガストン大佐は電磁鞭を床に叩きつけ、不敵な笑みを浮かべた。


「全軍に告ぐ。一時砲撃を中止。……自動掃討システム『第四号監視塔』の出力を最大に引き上げ、あの『バグ』を完全に包囲・圧殺せよ」

HẾT CHƯƠNG

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