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双子の灼熱刃と対流の逆転

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死神の心臓に、紅蓮の牙が迫っていた。


 摂氏三百度に達する玄武の『超伝導高熱シールド』が、目前に迫る。熱膨張によるすさまじい気圧の衝撃波が、凍夜の顔面を焼き焦がそうと大気を歪ませていた。それと同時に、彼の心臓――その胸の奥に眠る『絶対零度の神核』を正確に狙い、朱雀が放った音速の赤熱ナイフが、空間を切り裂いて飛来する。


「溶けちまえ、死神ィッ!」


 玄武の野獣のような咆哮が、狭い配管通路に木霊した。逃げ場はない。背後には、過熱蒸気の地獄から辛うじて救い出したハルトや翔太、そして孤児ドームの子供たちがいる。避ければ、彼らが一瞬にして消し炭になるだけだ。


(避ける選択肢はない。ならば――吸い尽くす)


 凍夜は冷徹な思考のまま、右足を踏み込んだ。サーマルスーツの蓄熱インジケーターは、すでに限界を示す赤色に明滅し、警告アラームが脳内を掻き乱している。だが、彼はその警告を無視し、両手を前に突き出した。嵌めているのは、アジールの鍛冶屋テツが凝固水銀と超伝導鉱石を練り込んで作り上げた『テツ特製「氷結伝導グローブ」』だ。


 ドカンッ!


 玄武の巨大な高熱盾が、凍夜の両手に激突した。凄まじい衝撃が凍夜の全身を駆け抜け、靴底が鉄格子の床を削りながら火花を散らす。皮膚が焼けるような高熱がグローブを通じて侵入してくるが、凍夜は奥歯を噛み締め、体内のエントロピー移動システムを強制起動した。


「グローブの超伝導回路、最大出力……吸熱、開始――」


 ジュウウウウッ!


 その瞬間、玄武の盾から放たれていた摂氏三百度の熱エネルギーが、凍夜の手のひらを通じて、津波のようにサーマルスーツへと吸い上げられた。熱は物理法則を逆転させ、温かい盾から冷たい凍夜の身体へと、強制的に「引きずり落とされる」。


「な、なんだァ!? 俺の盾の熱が――消える!?」


 玄武が驚愕の声を上げた。彼の目の前で、赤く熱せられていた鋼鉄の盾が、一瞬にしてその赤みを失い、くすんだ灰色へと変色していく。それだけではない。三百度から一瞬にしてマイナス百度以下へと急降下した極端な温度差――「熱ショック」が、盾のチタン合金を襲った。


 キィィィィン――!


 耳を劈くような金属の悲鳴が響く。急激な熱収縮に耐えかねた盾の表面に、クモの巣状の亀裂が走り、次の瞬間、まるで安物のガラス細工のように脆く硬化し、粉々に砕け散った。


「盾が……俺のプロメテウス・ウォールが、粉々に……!?」


 自慢の絶対防壁を失い、玄武がバランスを崩して後退する。だが、凍夜にはその驚愕に浸る余地はなかった。彼の左肩をかすめてコートを切り裂いた朱雀の『音速の灼熱刃(マッハ・フレア)』――摩擦熱で白熱化した第二、第三のナイフが、すでに彼の喉元と心臓に迫っていたからだ。


「玄武の盾を砕いただと……! だが、この速度は防げまい!」


 通路の闇に潜む朱雀が、激昂しながら両腕を振るった。十数本の赤熱ナイフが、音速を超える速度で同時に投擲される。大気が引き裂かれ、赤い閃光の弾幕となって凍夜を包囲した。


 サーマルスーツの蓄熱容量は、玄武の盾の熱を吸い込んだことで完全に臨界点(サーマル・オーバーロード)に達していた。これ以上の直接的な吸熱は、凍夜自身の内臓を熱ショックで焼き焦がし、心停止を招く。


 ドクン、と凍夜の心臓が激しく脈打った。胸の青い紋様が、かつてないほど禍々しく発光する。その瞬間、彼の脳裏に、冷たく超然とした「声」が直接響き渡った。


『温もりを捨てよ。人間との繋がりなど、ただの不純物だ。器よ、すべてを凍てつかせ、無に帰せ。そうすれば、真の神格が目覚める』


 顔のない青白い巨影――先代の氷の神の残影が、精神世界の底から語りかけてくる。脳細胞が冷気で麻痺し、感情が急速に削り取られていく恐怖が凍夜を襲う。


(……黙れ。俺は、人間として……陽菜との約束を果たす)


 凍夜は冷たい霧を脳内で振り払い、心臓の第1封印を一時的に強制解放した。彼が求めたのは、物理的な冷却ではない。空間そのものの「停止」だ。


「分子遅延領域(スロウ・ドメイン・プロト)――展開」


 ピキィィィン!


 凍夜を中心に、半径十メートルの空間に青白い光の結界が広がった。その領域に足を踏み入れた瞬間、すべての物理法則が書き換えられる。温度とは分子の運動速度に比例する。ならば、絶対零度に近づくほど、空間内のあらゆる物体の「速度(時間)」は停止へと近づくのだ。


 シュウウウ……。


 信じがたい光景が現出した。音速で飛来していた朱雀の赤熱ナイフ群が、凍夜の眼前に侵入した瞬間、まるで粘度の高い水中に突入したかのように極端に減速し、空中でスローモーションとなって静止したのだ。ナイフの表面で激しく振動していた高熱の分子運動すらもがスローになり、真っ赤な光が青い結界の中でゆらゆらと揺らめいている。


「な……何だこれは!? 俺のナイフが、空中で止まって……!?」


 朱雀の顔から余裕の笑みが消え去り、驚愕と恐怖に歪んだ。遅延領域の内部では、空気の対流すらも静止し、静寂だけが支配している。


 凍夜はその静まり返った空間を、音もなく一歩踏み出した。結晶化の進む左腕の激痛を無視し、空中に浮遊する赤熱ナイフの刃に、グローブをはめた指先でそっと触れていく。触れるたびに、ナイフが帯びていた摩擦運動熱が、凍夜の指先から吸い取られていく。熱を完全に失い、ただの冷たい鉄屑へと戻ったナイフを、凍夜は指先で軽く弾いた。


 パシッ、パシッ、と静寂の空間に、乾いた音が響く。


 次の瞬間、遅延領域が解除された。運動エネルギーを奪われ、ただの鉄の塊となったナイフが、凍夜の放った軌道に沿って、凄まじい速度で逆噴射するように飛んでいく。


「うああああっ!」


 鋭い悲鳴が上がった。冷え切ったナイフは、朱雀の右肩と、盾を失って呆然としていた玄武の右足を正確に貫いた。赤熱の刃ではなく、極低温の「冷たい鉄」に肉体を穿たれた二人は、傷口から一瞬にして微細な氷晶を噴き出し、激しい悪寒に身を震わせた。


「兄ちゃん……! この野郎、よくも兄ちゃんを!」


 足を貫かれた玄武が、痛みに耐えながら顔を真っ赤に染めた。彼の瞳の奥に、自暴自棄な狂気が宿る。彼は自らの血液循環を極限まで急上昇させ、体内の全エネルギーを熱へと変換し始めた。


「まとめて溶かしてやる! 熱鋼化(サーマル・アーマー)ッ!」


 玄武の全身の皮膚が、まるで製鉄所の炉から取り出したばかりの「赤熱した鋼鉄」のように赤黒く発光し始めた。皮膚温度は一瞬にして摂氏八百度まで急上昇し、周囲の鉄骨が彼の熱気だけでドロドロに溶け始める。彼は巨大な灼熱の質量兵器と化し、凍夜に向けて突撃を開始した。


「死ねええええッ!」


 迫り来る八百度の熱鋼。だが、凍夜は一歩も引かなかった。テツの「氷結伝導グローブ」をはめた左手を真っ直ぐに伸ばし、突進してくる玄武の胸元へ、直接その手のひらを叩きつけた。


「接触凍結(タッチ・フリーズ)」


 ジュウウウウウウウウウッ!


 配管通路全体が、沸騰する水蒸気と激しい白煙に包まれた。玄武は勝ち誇ったように叫ぼうとした。「俺の体は八百度だ! お前の冷気ごと溶かして――」


 だが、その言葉は、喉の奥で凍りついた。


 玄武の発熱速度を、凍夜の「絶対零度」の吸熱速度が遥かに凌駕していた。玄武の肉体に蓄積されていた莫大な熱エネルギーが、凍夜の左手というブラックホールへ、一滴残らず吸い尽くされていく。赤黒く光っていた玄武の皮膚が、胸元から急速に灰色に変色し、次の瞬間には、幾何学的な青い氷の結晶が全身を這い回った。


「あ……が、あ……」


 玄武の瞳から、生命の光が失われていく。彼の八百度の熱鋼化された肉体は、熱を奪われたことで極限まで脆化し、ただの「動かない氷の巨像」へと変貌した。凍夜がそっと手を離すと、玄武の氷像は、鉄格子の床の上に鈍い音を立てて立ち尽くしたまま、完全に沈黙した。


「玄武……? おい、嘘だろ、玄武ッ!」


 肩を貫かれ、壁にしがみついていた朱雀が、信じられないものを見る目で凍夜を凝視した。烈火党の精鋭であり、ボスの右腕と称された自分たちの連携が、この青白い青年一人に完全に粉砕されたのだ。


 凍夜は、冷徹な氷晶の瞳で朱雀を見据えた。彼の周囲には、未だ『分子遅延領域』の残存冷気が漂い、吐き出す息は白い結露すら作らずに消え去っている。その姿は、極寒の地下世界に降臨した、本物の「死神」そのものだった。


「ひ、ひぃッ……!」


 朱雀は恐怖に腰を抜かし、傷ついた肩を押さえながら、配管の闇の奥へと這うようにして逃げ去っていった。その背中を追うだけの体力は、もう凍夜には残されていなかった。


 カハッ……!


 突如、凍夜の胸が激しく収縮し、口元から暗赤色の血が吹き出した。その血は、鉄格子の床に落ちる前に、パチパチと音を立てて青い氷の結晶へと変化していく。肺の奥が、ガラスの破片で埋め尽くされたかのような激痛に襲われた。


「凍夜……さん……」


 遠く離れた診療所で、陽菜が自身の指先に降り積もる霜を見つめながら、再び意識を失いかけているビジョンが、脳裏をよぎる。力を使いすぎた代償が、彼の肉体を、そして陽菜の命を、確実に削り取っていた。


「肺の結晶化が、進行している……」


 凍夜は結晶化した左腕を抱え、激しく喀血しながら、冷たい床の上に崩れ落ちた。薄れゆく視界の向こうで、アジールの闇が、さらに深く彼を飲み込もうとしていた。

HẾT CHƯƠNG

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